うつと診断されたけど、療休か退職か、このまま働くか、決めることすらできない
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退職か休職か…
心身ともにボロボロな状態でうつだと診断された私は、ひたすら葛藤しました。
葛藤とは言っても、理路整然と考えられるはずなどなく、ただひたすらマイナスなことをぐるぐるぐるぐる。不安と焦燥感、自己嫌悪ばかりが募りました。
薬を飲んでも、うつの症状は変わらず消えません。
旦那は見るに見かねて「辞めていいんだよ」と言ってくれますが、しがない地方公務員の給料1人分では子供2人を育てるには、、
今までとは一気に違う生活をしなければいけません。
家庭の経済的な事情で進学を諦めた生徒を何人も見ていたので、わが子たちにはそんな思いをさせたくないという気持ちも強くありました。
何が幸せかは、誰にもわからないですけどね。
それに簡単に退職と言っても
私だって本当は、元気だったら、ずっと続けたかった仕事!!
悔しくて悔しくて仕方ない!
かと言って休職するにも、前回の記事に書いたようにハードルがありまくり、、、
そんな簡単には決められません。
心療内科に行ったものの、結局私自身はどうしたいのかが、自分でも分からずにいました。
悩みながらも続く生活
そして、そんな悩みはお構いなしに、荒れまくっている最底辺校な職場…(繰り返しますが一人ひとりはいい子達です)
療休やら突然亡くなられた方がいたりやらで人手が足りなくて、、みんなギリギリです。
休むなんて言い出せず、心療内科に行ったあとも、這いつくばって、鉛のように重い体で相変わらず出勤していました。
毎朝どうやっても起きられなくて。
旦那が子どもたちを先に起こしてご飯を食べさせておいてくれました。
でも旦那は運動部顧問。朝練もあるし、時間になったら出発しちゃう。
一番最後に這うように起きて、「行きたくない」「休みたい」「消えたい」と泣いて繰り返しながら旦那を見送ります。
朝ごはんはもちろん食べられず、毎朝お腹を下し、何も食べてないのに吐き気がひどくて吐いてしまう。
こんなになっても休む決断もできないんです。
子どもたちの前では、元気がないなりにお母さん頑張りました。
保育園に預けて、優しい保育士さんに「ママ最近ほんとに大丈夫?」と心配され(その話はまた書きたい…保育士さんってすごい)、
ぎりぎりの心理状態で出勤します。
途中で決まったスポットにさしかかると、故意に自損事故を起こしたくなる衝動に襲われていました(その話もまた改めて記録しておきたい…)。
もちろん職員室に着いても、元気な頃みたいに過ごせず、周りと会話するのも必死、ふとした拍子に涙が出てくるのも必死に隠してました。
一生忘れない管理職からの面談の声かけ
そんなこんな毎日心身ボロボロ、身なりもそこそこボロボロに過ごしていると、ある日突然管理職の一人から声をかけられました。
育休復帰のとき私に「担任やってね」「長く育休とってたんだから、当然○○先生(私)が担任やるってみんな思ってるよ」と電話をかけてきた(かけてくださった、、とは言いたくない)方とは別の、優しげな管理職です。
誰も近くにいない廊下で「異動してきた先生とかに、今さらだけど最近どう?って聞くために面談してるんだよね。先生も復帰した年だし、ちょっとお話聞かせてよ。」
その時の面談の声かけが、私が自分で自分の人生を決めるための最初のきっかけになりました。
でも、そのときはそんなことになるとは全く考えず、なるほど、そういうのがあるんだな。くらいに思ってましたけどね。
うーん、どうしよう、うつって診断されたこと、話したほうがいいのかな。とか。
休職する勇気はないし、退職するって決断もしきれない。
とりあえず今のクラスの子達のことは3月末までちゃんと担任として向き合いたい。
家では超がつくほどボロボロで家庭崩壊させそうだし、職員室でも涙が止まらない毎日だったけど、不思議と教室に入るときには切り替えられて、生徒と笑ったり怒ったり悩んだり、授業も楽しくできていたからです。
放課後、面談の約束の時間まで、職員室で縮こまったような気分でぐるぐるぐるぐる考えていました。
そして、約束の時間。面談の部屋へ向かいました。
つづく⇩