鬱になってからの体調不良や出来事については今までの記事で書いてきましたが、
今日は、転勤(異動)について。
異動か退職か
鬱と診断されて、管理職に年度末での退職を申し出るもさらっと?流され、ボロボロのまま働いていましたが、
数年後、異動希望を出しました。
そのタイミングで退職を再度申し出ることもできましたが(それより遅くなると人事異動の際に専任の先生が来なくなってしまったりします)、
そのときはうつも少し落ち着いて、ドン底から少しだけ上がったところにいました。
働いたまま鬱から復活する最後のチャンスとして、異動にかけてみようと思ったんです。
わが子たちのこと、自分の体調のことを考えたら、すぐ辞めたほうが良かったのかもしれませんが、
そう簡単には決められませんでした。
決められない理由なんて数え切れないほどありますが、大きなものは次の3点。
①経済的な理由
辞めてしまったら、経済的に厳しくなること。
子どもたちに将来の進路を我慢させるようなことはしたくない。
経済的な理由で将来の進路を諦めざるを得ない生徒を見てきていたので、できることなら貯金しておきたいと思っていました。
(その子たちはその子たちなりに前向きに進んでいるので、何が良いか悪いかは一概には言えませんが。)
子どもたちの学費、残したい資産、そして自分たちの老後など、辞めた場合の試算をすると不安ばかりが募りました。
②うつも気の持ちよう…?
私の心身の不調は単なる甘えかもしれないという、自分への不信感もありました。
そんなことで辞めてはいけない、と思う気持ちがまだどこかに残っていました。
「消えたい」とばかり考えてしまって、
涙が止まらず、全身も鉛のようなのに。
診断書まで出て、薬も飲んでいるのに。
この期に及んで、まだ私の中にも「病は気から!」という根性論が生き残っていました。
んなわけありません、脳の病気です。
この染み付いた根性論、厄介です。
③教員の仕事が好きだった
その当時の職場は最底辺校で、いわゆる荒れた学校でしたが、
それでも生徒たち一人ひとりのことは大好きでした。
先生方のことも、教師という仕事も、好きでした。
夢でもあった職業。
簡単に辞める決断はできませんでした。
まぁ、異動の数年後、最終的に退職することになるんですが、
最後までひっかかっていたのは③の理由でした。
結局、私は学校という場所が好きだった。
辛いことも苦しいこともあるけど、色んな人がいて色んな考え方であふれているあの場所が、面白いなと思っていたんです。
異動希望を出したあと
決断力、判断力がなくなってしまった脳の状態で、
異動、という決断をしたこと。
本当にこれでよかったのか。
異動希望を出したあともぐるぐるぐるぐる悩みました。
また今年も退職する決断が出来なかった。
毎年毎年、悩んでいました。
その間にもわが子たちは大きくなっていきます。
大事な、愛しいこの時期を、うつなんかに邪魔されたまま生きて、後悔しないだろうか。
ま〜だ悩む。
永遠に悩む。
でも、鬱々としたまま過ごすイメージがついてしまったこの学校から出たら。
また昔のように、とはいかなくても、
少しだけ顔を上げて過ごせるかもしれない。
暗い私を知らない人ばっかりのところに行けば、頑張り直せるかもしれない。
そんな希望が湧いてきました。
管理職にも呼ばれ、意志の確認をされました。
最終的に、この決断で。
もう迷わないぞと覚悟を決めました。
私が鬱であることを最初に気付いてフォローしてくれていた管理職T先生も、
この決断をあたたかく応援してくれました。
異動で、いい方向に進めるといいな…
異動の話はまだ続きます。