持病持ちの下の子の育休からの復帰、地区最底辺校での担任業、旦那はバリバリ運動部顧問で不在、
そんな状況でなんとか両立しようと働いているうちに体調を崩し
うつ病と診断されました。
心身ともにボロボロになり(詳しくは今までの記事に^^)退職を申し出るも叶わず、、、
数年後に異動することになりました。
今日はその異動後について。
異動初日、やっぱり元気は出ない
4月、新しい職場へ向かいました。
緊張して、いつも以上に眠れませんでした。
相変わらず朝はお腹が下ってしまうし、吐き気も止まりません。
初日なのに行きたくない。
身体と脳が鉛みたい。
不安と焦りで涙が出ます。
やっぱり私はダメなんだ。
覚悟はしていましたが、環境の変化によるストレスがこんなにすぐ影響するなんて。
でも、もしかしたら新しい環境で生まれ変われるかも、
なんて漠然とした期待だけが、私の心を少しだけ明るくしてくれていました。
最初の1日くらい、明るい気分で爽やかに行きたかったけど…
少しずつ状況が変わるかもしれないと信じて出勤しました。
私の鬱のことを知っている人がいる
何人か知り合いだった先生もいて、お会いできたことを嬉しく思いました。
旦那の元同僚なども合わせると、たくさんの方と初日からお話することができました。
最初は会議が多いし、合間の時間はデスク周りを整えたり、パソコンの設定をしたり、意外と慌ただしく過ぎていきます。
その中でお一人だけ、話していて「あ…」と思った方がいました。
その方は、私の分掌のリーダーとなる方でした。
そして、私のメンタルの不調を知っている方でした。
年度初めの分掌の会議。
会議で役割分担をしたときに、私の役割が少ないなと感じました。
異動1年目だからかな?
落ち着いた学校で、元々いた先生方にも余裕があるのかな?
そう思いました。
でも、会議の後にリーダーと話をしてみて分かりました。
リーダーだけは、私のうつのことを知っていて、業務量の配慮をしてくださったんです。
おそらく前任校と異動先で管理職同士の引き継ぎがあって、
そこからリーダーにだけ伝えてくれたんだと思います。
そして、そのリーダー自身も、反復性うつと付き合ってらっしゃると教えてくれました。
だから、「無理だと思ったらすぐ相談してね」と。
鬱は隠しても消えないのに
異動一年目。
業務量、業務内容の配慮をしてもらって、あまり負担感のない役割分担になりました。
それまでと違い落ち着いた学校なので、担任になりたいと言う人も多く、私はすんなり副担任でした。
異動1年目なのもあり、グループの他の先生方にとっても、その配慮も違和感なくうつっていたと思います。
ありがたい。
そして、うつのことを理解してくれるリーダーがいるのは心強い。
そう感じる一方で、少しだけ残念に思う気持ちもありました。
自分の暗い部分を知っている人がいない環境で、昔のように元気に働きたいと思っていたからです。
今思えば、そんなことは無理な話で、
働きながらそう簡単に回復する訳がないし、
管理職やリーダーの配慮に感謝した上で
前向きに開き直って
その上でできることを一生懸命やりながら、治す道を選べばよかったんです。
でも、あの時の私の世界はとても暗くて狭くて、視野も狭かった。
つらい自分を人にオープンにする勇気なんかありませんでした。
前向きになる前に、自分の弱さを認めきれていませんでした。
配慮されている自分を恥ずかしく感じてしまいました。
社会性、コミュニケーション能力がないと言われればその通りです。
この自信のなさ、鬱を本当の意味で認められない感情がなかなか厄介で
最終的に退職する最後の最後まで克服できませんでした。