一緒に働いた先生たちとの会話
異動した後、一度だけ荷物をとりに前任校(地区の最底辺校)に寄ったことがあります。
うつになったことは管理職以外には伝えていませんでしたが、
離任の挨拶の時に号泣してしまったので、ちょっと気まずかったなぁ。
でも後から考えると、この日の会話が私にとって「ちょっと勇気を出してみる」きっかけになったんだと思います。
荷物を取りに行った当日、誰にも会わずに済ませたかったけど、そうもいかず。
思いっきり準備室でお会いしてしまいました。
そのとき、当時一緒に働いていた若手たちから「先生、ずっとつらかったんじゃないですか?」と聞かれました。
「先生の離任の挨拶きいてたら、泣いちゃいました」って、いろいろ話していたらその時まで涙ぐんでくれました。
「先生いなくなっちゃうのは寂しいけど、がんばりますね」って。
私以外にもともと休職が常に一人はいる教科でした。
突然亡くなられてしまった先生もいて、「私も実は休職、、」なんて言えない状況でした。
人が足りなくて大変な状況を、一緒に切り抜けてきた後輩たちです。
家ではボロボロだったけど、職場では彼らと一緒に笑ったり悩んだりしてきたんです。
どうやったら生徒たちに学習面での自信を持ってもらえるか、
どうやったら安心して学べる環境を作れるか、
時にはふざけたりしながら、でも真剣に、考えてきたんです。
そんな頼もしい大好きな後輩たちに、私は最後まで本音でぶつかれませんでした。
私の話を聞いて涙してくれる優しい後輩に、心を開けなかったんです。
かっこつけて、こわがって、弱音を吐くことができなくて。
かっこ悪い先輩でした。
先輩からも「きつかったんだね、ごめんね気付かなくて」と話しかけてもらいました。
こんな優しい先輩にも、誰にもうまく頼れなかった。
ごめんねなんて言わせてしまいました。
私の弱点
なんとなく何でも要領よくこなせて、優秀といわれる人生を生きてきました。
学校の勉強や受験勉強とは相性がとてもよかったし、頼まれたらリーダーの立場もやってきました(でも自分から進んではやらないタイプ)。
クラスでは1、2番目ににぎやかなグループにいて、なんとなく集団の中にいることもできていました。
でもずっと、そうしていながらも、心を開くのがすごく苦手な自分に気づいていました。
3人以上の集団では、一歩後ろに下がっていたい衝動を感じていて、
会話が弾んでいると、遠慮なのかなんなのか、声を発するのをためらってしまって。
人目を気にしてばかりで、何かを怖がっていました。
つらいって言ったら「そのくらいで?」とか「みんなも辛いから」って言われるんじゃないかとか。
グチる人だと思われちゃわないかとか。
そう言われてしまったら、頑張れない自分のことを否定された気がして。
ただでさえ自分自身でもそんな自分のことを情けないと思っているのに、これ以上否定されるのはつらい!って思っちゃって。
弱音を吐くことが、私にとってはとても怖いことでした。
でもそんな心配は結局、
言われるかもしれない、思われるかもしれない、という私が作り上げた「かもしれない」から生まれたものばかりでした。
弱さを見せられる人になりたい
鬱になって初めて、私は全然優秀なんかじゃないんだと気付きました。
いや、うそです。
もともと気付いてはいました。
「かもしれない」にとらわれて、人に心を開けない。
要領が悪い癖に完璧主義。
そしてそれに気付いているのに、ずっと緊張状態で改善できない。
こうやって体調を崩して家族や職場に迷惑をかけるまで、認めることができていませんでした。
私が自分の弱さを認められていないために、
周りの人たちも助けていいのかどうかためらっていたと思います。
大好きだった同僚のことも、
どこかで「私のことをきっと否定してくる」人として見てしまっていました。
とても視野が狭くて。
弱いところを見せる勇気がなかった。
私も、今は少しずつ「実はね、、、」といろんな人に弱さを見せられるようになりました。
年齢を重ねて図太くなれただけかもしれないけど、あのときの同僚たちへの思いが、確かに私に勇気をくれたように思います。
思っていた以上に世界は優しかったんだって(^^)
仕事が出来ようが出来まいが、
勉強が出来ようが出来まいが、
自分の子どもたちには、愛嬌のある愛される人になって欲しいと願っています。
何かにつまづいたとき、苦しくなったとき、
素直に助けを求められるように。
周りの人がためらわずに助けの手を差し伸べてくれるように。
不器用なママだけど、生き方をせっかく変えたからには
わが子たちにも何か前向きで暖かいものを伝えられたらいいなと思います。