先生を辞めた~私の場合~

教員の仕事、大好きだけど辞めました!鬱(再発防止期)と育児とお仕事の話。

ちょこっと日記〜ここでだけ、弱音。〜

クラス替えしたけど特に問題なく過ごせているむぎさん。

たぶん問題ないわけじゃないけど、

自分なりに過ごし方を見つけて頑張ってる。

 

それなのに、毎日怖い。

明日の朝、学校に行きたくないと泣かれるのがこわい。

学校に行きたくないという気持ちになる程、むぎさんの心の中で何かが起きているということを実感するのが怖い。

弱い自分から変わらない私でいることが怖い。

 

これからもずっとそうなのかと、ずっと向き合い続けなければいけないのかと思うのが怖い。

向き合わなきゃと思い過ぎている自分が怖い。

変わらない自分が怖い。

 

もしそうなったら、一番不安で一番怖いのはむぎさんなのに、

そんな風にしか考えられない自分で居続けることが怖い。

何度も何度も繰り返し「ここで笑っていてくれればそれでいい」と心から思っているのに、

結局自分のことばかり考えてしまう自分。

 

変われないことが怖い。

本気で変わろうとしたらどれくらいしんどいのだろうかと、想像しただけで怖い。

本気で変わろうとしても変われなかったら、、そう思うと勇気を出すのが怖い。

 

むぎさんのことを信じられる自分と

弱気になってしまう自分。

勇気を出せない自分で生きてきたこと

そしてそれが染み付いていることを痛感する。

 

 

 

ふぅ。

大丈夫。

今は何も起きてない。

大丈夫大丈夫。

 

 

ちょこっと日記~たまには上の子こめさんについて

 

昨日は感情的な記事を書いてしまってちょっと反省。

でも1度は吐き出したかったので、

たまにはまぁいっか!ってことでm(_ _)m

 

今しあわせだからまぁいいのだ!

結局これも私が選んだ道。

退職してパートになって

でも実は

結局

教育にかかわる仕事だったりします。

これもまた楽しい。

収入はもちろん減りましたけどね。

 

結果的には、だけど

子供と過ごす時間ができて

仕事は仕事と割り切れるようになって

心も健康になり

良かったなと感じられる毎日です。

感謝!!

 

姉御こめさん

前向きと言えば

上の子こめさん。

下の子むぎさんもかなり前向きになりましたが

こめさんは生まれつき?

生粋の前しか向けない人。

 

というか振り返れないし、よそ見もできない。

いつも全力!

なんでも楽しそう!

全部やっちゃお!

みんなもやろうぜ!

そういう性格の子なんです。

 

今までなんとなくぼかしてきましたが、

こめさん、女子。

 

でも女子とか男子のくくりを超えて

なんていうか、

何に対しても全力な子供。

 

いや違うな

全力な「人」。

 

悪ガキたちとケンカすることはしょっちゅう。

ケンカと言っても

先生方曰く

「男子たちはこめちゃんのこと、面白いお姉ちゃんとかお母さんだと思ってて甘えてる感じです」

「こめちゃんが、『わかってるよ、おまえホントはいいやつなんだよな、アハハ』ってケンカしながらも可愛がってくれるんですよ」

とのことで。

それ、想像出来る~

 

小さな頃から裏表というか

家と外での顔がまったく変わらないこめさん。

 

繊細さの欠けらも無い。

なんて、うそうそ、ごめん。

繊細さ、実はとってもあって

優しくて傷つきやすくて

 

でも根が前向きだから立ち直る力が強い。

盛大に泣きわめくけど前を向ける。

と、私は勝手に感じています。

 

わが子を人として尊敬する親バカ

昨日は

「今日運営委員(生徒会みたいな)の選挙があって、スピーチするのドキドキしてたんだけど」

「あいつら(愛すべき悪ガキたち)が、お前みたいなクソカスなんかにはぜってー投票しないからなって集団で言ってきて」

「通せんぼするし、スピーチ考えたいのに集中できなくて」

と話してきました。

 

ほー、それはイライラするな。

気が弱かった小学生時代の私なら泣いてたかも。

 

でもこめさんはとても嬉しそうに

「しょうがないから相手してやった!」

「私だったらそんなこと言っても大丈夫だって信じてくれたってことでしょ」

「結局あいつら全員私に投票したにきまってる」。

 

と意にも介さず

というか、

軽口?を叩かれても

めんどくさいイジワルをされても

全く動じない。どころか

それを前向きに捉えられる

「そんな自分」に自信がある子。

 

「少しの辛さにも対応出来る自分」を信じていられる人。

 

『生まれ変わるならまた私だね』

もちろんまだまだ子供です。

これから何があるか分からないし

こういう子ほど脆いところがあるものでしょう。

 

今までも、

なんでも楽しそう!と挑戦したがって

さらに目立ちたがりのこめさんは

その年にして既に私の何倍もの経験をしてきたんじゃないかと思います。

 

色んなことに挑戦しては壁にぶつかって

出る杭はめちゃくちゃ打たれて。

 

その度に悩んで泣いて

でも自分で乗り越えていく姿を

何度も見せてくれました。

 

そんな脆さも人間くささもチラ見せしてくれる

そんなところさえ尊敬できる。

親バカバンザイ。

 

ミセスグリーンアップルの『ケセラセラ』、

『生まれ変わるならまた私だね』

の歌詞は

私の中でこめさんのテーマソング。

と伝えてみたら

「なにそれー!」「お母さん大好きー!」と嬉しそうに爆笑してました。

 

と、いつもむぎさんのことばかりだったので、

たまにはこめさんのことを書いてみました。

 

子育て、イライラすることもあるし

悩むこともめっっっちゃあるけど

自分とは違う人間の成長を見させてもらえるのは

すごく面白い!

どんな子達になるんだろうな。

わが子たちに感謝!!!

 

 

退職あれこれ⑥〜バリバリ運動部顧問の旦那にモヤモヤ?〜

 

ここまでの記事に書いてきたように、

私は数年前に教員を退職しました。

 

 

退職を決めるまで

重め持病持ちの下の子の育休復帰と同時に

地区で一番荒れた高校で担任をして、

旦那は運動部の本気顧問のため、朝も晩も土日もワンオペ。

 

少し気を抜けば荒れてしまうクラスのこと

体の弱い子供のこと

そして、忙しくてみんな疲弊している学校現場。

 

睡眠時間を削ってでも

ちゃんとやらなきゃ、頑張らなきゃと思っているうちに

眠るのが怖くなり

毎晩のようにパニックが起きて眠れなくなり。

 

自律神経失調症

そして鬱になりました。

 

網膜の病気、アトピー、徐脈などなど、

いろんな病気や症状も出ました。

 

子どもの病気のこと

自分の心身の不調

経済的なこと

夢だった「先生」という仕事への未練…

 

まだ頑張れるんじゃないか

甘えてるだけなんじゃないか、と

辞めるか辞めないかいったりきたり。

決断するまでには年単位で時間がかかりました。

(詳しくは今までの退職関連の記事に\(^^)/)

 

鬱のどん底期の退職申し出は

華麗に?スルーされ、

そこからの2回目の申し出。

無事に受け入れられて、最後の一年を過ごしたのでした。

 

旦那へのモヤモヤ?

退職希望を言い出せたことをまず最初に報告したのは旦那でした。

休憩時間に

退職するって言えたよー!とLINE。

何時間か後に

「がんばったね!」と返信が来ました。

 

同業者の主人は

私の鬱のどん底期から

「辞めていいよ」「辞めなよ」と

優しく声をかけてくれていました。

私が退職を管理職に切り出せずにいることも

気長に、でも背中を押しながら

見守ってくれていました。

 

が、本当にそれ、

経済的なこととか私の気持ち、分かって言ってるの?!

と素直に受け取れない私。

 

そして、

私だって本当は辞めたくない!

こんな自分になんかなりたくなかった!

部活ばっかりで家にいなかったくせに!

ワンオペじゃなかったら、

こんなことにならなかったかもしれない!

 

という、言ってもしょうがないタラレバ。

でも行き場のない悔しさが

毎回こみあげてきてしまうのです。

 

同業者、そして同期だったから余計に。

私も仕事が好きだったから、

比べてしまうと悔しくて。

 

 

どうせ私のこと、情けない弱いやつみたいに思ってるんだろうな。

私、こんなに頑張ってきたのに。

近くにいなかったくせに。

という、傲慢な、被害妄想のひとりよがり。

 

家にいればなんでもしてくれて

自慢の優しい旦那であり父親ですが

とにかくガッツリ運動部顧問なので

土日も家にいないのが基本。

朝は朝練。

夜は、部活の後に職員室で仕事してくるから遅い。

 

うちの子たちは

土日に半日でもパパが家にいようものなら

「今日お仕事行かなくていいの?」と驚くし、

公園にお父さんと来ているお友達を見て

羨ましそうというか、不思議そうにしていることもよくありました。

 

旦那ではなく部活への疑問だ

私も独身時代は

というか、上の子の産休に入るまでは

運動部の顧問をしていました。

 

毎日生徒と走って練習して

一緒になって泣いたり笑ったり。

合宿にも毎年連れて行ったし

他の運動部とかけもちだったこともあり

半日の休みもなく100日連勤は当たり前、な生活をしていました。

 

目標をもって頑張っている生徒もいるし

応援している保護者もいるし

そういうのは分かってるんです。

 

部活は休めない。

職務としては認められていないけど

これはちゃんと生徒に関わる仕事。

 

でも、

母親になって

ワンオペしてみて

この異常さに腹が立ち始めました。

 

私のパートナー返してよ。

せめて、お金をちゃんと払って?

 

今はだいぶ改善されましたが

1日練習しても部活につく手当が数百円だった時代。

職務としても認められていない?

なにこれ?

 

で?

なんでそんな部活脳なの?

私の苦労は?

辞めたくなんかないんですけど?

鬱になんかなりたくなかったんですけど?

 

私は毎日部活にも顔を出せず

子供の迎えにダッシュで帰って

周りの人には「すみません」「お先に失礼します」と謝りたおす毎日なのに。

当たり前のように私が育児ワンオペ。

当たり前のように旦那は土日も部活。

「ごめんね」と謝るばかりでお互いの立場は変わらなかった。

 

でも、旦那が部活好きなこともわかってたし、

私も子育てを優先する気でいたから

つらさを訴えはしても

「部活やめてよ」なんて言う気もなかった。

 

なんだこれ。

 

いや、

結婚する前から分かってたでしょ。

はい、その通り。

子供をのことは大事でしょ。

はい、当然そうなんです。

たぶん、部活やっていいよと言われても

私は子供を選んでいたと思う。

 

そう。

そうなんですよ。

分かってるんですが、悔しくて。

消化できない自分が未熟すぎて情けない。

 

かなり口は悪くなりましたが(気分を害される方がいたらごめんなさい)

鬱になって夢だった仕事をもう頑張りたくないと思ってしまった私のモヤモヤ。

 

部活。

なんだこれ。

でした。

 

少しずつ変わってきましたね。

良かった。

けど悔しい。

もう少し早かったら。

 

って思っている部活顧問夫人はたくさんいるんだろうな。。。

部活未亡人という言葉が、同業者のあいだで市民権を得ているのも納得。

 

色々書きましたが、旦那のことは大好きです。

同業者、しかも実は同期だったので、

悔しくて羨ましくてという

私の消化できない思いを

愚痴ってしまいました。ごめんなさい。

 

 

 

読書記録〜嫌われる勇気〜

 

新学期、始まりましたね!

わが子たちもそれぞれに期待と不安を抱えながら今日も登校していきました。

 

クラス替えのモヤモヤ

と、月並みな言葉で言うとそんな感じですが

下の子むぎさんのクラス替え、、、

配慮してくれるんじゃなかったんかーい!!

という結果に。。

 

前の担任の先生は産休に入られているのですが(先生おめでとう!)

その前の面談で、

「来年度のクラス分けは仲の良い子と同じになれるように必ず伝えますね」

と言われていて。

安心してたのに。。。

 

前のクラスで仲が良かった子と

わざわざ離されたんじゃないか?ってくらい

バラバラになりました。

 

それでもむぎさん本人が前向きに捉えていたのがとても頼もしかった。

だから私は何も言わないと決心。

うんうん、きっと大丈夫。

むぎさんなら大丈夫さ。

 

わかる、わかりますよ。

私もクラス替えを決める側の立場だったから。

いろんなバランスがあるしね。

乗り越えられるって、子供の可能性を信じるのもまた大人の仕事。

でも、、、なんかモヤモヤ。

口には出さんけど。

 

嫌われる勇気

アドラー心理学について書かれた超有名な「嫌われる勇気」。

前にも読んだことがあったんですが、

その時はパラパラーっと終わったので

今回はちゃんと。

読み直しました。

 

何か言われることがあっても

それは私の課題じゃなくて

受け取る側の、受け取り方の課題。

 

これは上の子こめさんには小さい時から伝え続けてきました。

そしてすっかり身についている。

 

むぎさんにも伝えていますが、

特にこめさんは目立ちたがりで

出る杭は打たれることもあり。

でも根っこが優しくて素直なので(親バカ)

本当に誰かをわざと傷つけたり

危ないことをした時以外は

まぁ、そんなときもあるよね?って感じで。

課題の分離という考え方を伝えてきました。

 

そしたら、出過ぎた杭は打たれない状態になってきてしまって

それはそれで問題なんですが。笑

 

みんなから好かれるなんてありえない。

誰にも嫌われない人生を生きているとしたら

それは自分らしい人生を生きてないってこと。

 

改めてグサっ!!とささりました。

 

 

ちょこっと日記〜きっと大丈夫、のおまじない〜

 

新学期が始まる時期ですね。

我が子たちの学校ももうそろそろ。

 

さぁどうなるか。

どうなってもドシンと構えたいけれど

内心もう心配で心配で。

 

下の子むぎさんはデリケートで

ここまでも何回か書いてきましたが

昨年度は色々ありました。

 

今のところ、

少し不安なのかな?くらい。

 

慣れるのにとっても時間がかかる子だから

毎年やっとのことで慣れた頃にはもうクラス替え。。。

 

仲良しのお友達いるかな。

先生とは相性がいいかな。

 

すでに私は先回りして心配してしまっています。

 

でも

きっと大丈夫。

この子なら大丈夫。

 

高校時代の親友が

心配症な私によく

「大丈夫」と

おまじないのように言ってくれていたのを思い出します。

 

今は自分で自分に何度も繰り返す言葉。

 

あの苦しかった時期を乗り越えたむぎさん。

また何かあるかもしれないけど、

きっと大丈夫。

 

大丈夫。

大丈夫だよ。

 

がんばれ。

 

 

 

退職あれこれ⑤〜赤い目のまま〜

4月になりましたね。

パートとして働いている職場でも、異動があったり新採用の方が来たりで、

なんだかフレッシュな気持ちです(^ ^)

 

前々回のブログで

退職の申し出が受け入れられたところまで書きました!

鬱ドン底期にスルーされた1回目の申し出からここまで、、長かった(TT)

詳しくは、今までの記事をご覧いただけたら幸いですm(_ _)m

 

 

第四関門:最後の研究授業

さて、退職申し出をした日、

そして退職を認められたその日は

研究授業の当日でした。

 

その日を狙ったわけではもちろんなく。

 

どちらかというと、

次年度の意向調書を提出する時期になると、

毎年、毎日、いつ退職を切り出そうかと狙ってました。

そして、言い出せず空振りして、何年か退職しそびれてきました。

 

元々の優柔不断さに加え、うつで判断力も決断力も鈍りきっていたため

よっぽどの好タイミングじゃないと

動く決断が出来ませんでした。

 

そして決断できなかった自分に自己嫌悪して。

辞めたいのに辞められなかったモヤモヤを前向きに変換できないまま、泣きながら働く。

今思えばバカみたい。

でもあの時はそれしかできなかった。

 

そんな思考フリーズな私が決断できたのが、

たまたま?私の苦手とする研究授業の日だったのです。

 

見られることへの不安

校長室での面談を終え、

もう次年度には専任として教壇には立たないと分かっているのに

それでも真面目に研究授業の準備を始めました。

 

進学校の3年生。

しかも指定されたのは入試対策をしていた授業。

一応普段から工夫はしてきたつもりでいましたが、

研究授業としてはやりにくいんだよな〜、、

 

ただでさえ不安が大きく

人に見られるのは苦手なのですが、

鬱になってから

人の目が必要以上に怖くて怖くて。

 

視線を上げようと思えば思うほど

自分の身体と心が萎縮してしまいます。

 

どう思われてるんだろう。

この進め方はダメだよな

声が小さいって思われてるよな

単調だから退屈だろうな。

 

自分に自信がないばかりに

そこを周りの人が全て責めてきているような被害妄想。

 

その被害妄想はもはや妄想ではなくて

私の中に、現実に起きたこととして勝手に変換されて突き刺さってきました。

 

実際には一つも起きてないのに

あたかも本当に責められているかのように

常に感じ続けていました。

 

赤い目のまま研究授業

いざ授業が始まります。

元からチャイムの前には教室にいたいタイプなので、いつも通り到着して準備。

 

鬱とは言え、生徒のことが好きというか、そういう根本的なところは変わらない。

話しかけてくれる子たちと、

緊張するね〜、いつも通りいい感じでよろしくね〜なんて話しつつ。

 

どん底期でも変わらなかったのは、

生徒に会うと涙が止まって切り替えられるということ。

家はもちろん、職員室でも廊下でもダメなのに、

教室に近づくとスイッチが入りました。

 

そして、チャイム。

 

先生方やいろんな方が見に来てくれます。

なんとなくよそ行きな感じで授業を開始。

 

ついさっき退職の話をした管理職がはいってきて

私に目配せで「うんうん」と笑顔をむけてくれました。

 

ぶわっと感情がゆさぶられて、

涙が出そうになりました。

 

これが最後の研究授業。

 

初任時代から何度もやって

その度に緊張して嫌だな〜って思ったり。

同僚と励ましあったり。

その後の振り返りで思いがけずあたたかい評価をもらって自信がついたり。

色んなことを思い出しました。

 

嫌だけど、苦手だけど、

生徒のためにどうしたいかを一生懸命考えられていた以前の私。

 

今の私はもう、逃げること、退くことしか考えられない。

 

悔しくて、情けなくて、虚しくて。

 

なんとか堪えながら

きっと真っ赤な目のまま

授業をしました。

 

生徒に問いかける。

やりとりを通して笑いが起こることもある。

でも、心の中は悔しさでごちゃごちゃ。

改善して繋いでいくことは、私にはできない。

そんな気持ちが生まれるのが、なんだか怖い。

もう頑張るのが怖い。

 

そんな気持ちと葛藤しながらなんとか赤い目でやり通しました。

そんな最後の研究授業。

前向きに取り組んで盛り上げてくれた生徒たち、ありがとう。

ごめんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

読書記録〜本と私と52ヘルツのクジラたち〜

 

学生時代、読書が好きでした。

と言っても

コアな読書好きとかではなくて

かるーいやつ。

 

本との時間

通学時間が長かったので

田舎の電車に揺られながら

背中に窓からの日差しを浴びて本を読むのが好きでした。

 

こんな性格の割には土日は家にいると落ち着かず(昔は)

とにかく誰かと出かけていた私ですが

バイバイしたあとに始まってしまう脳内反省会。

それを止めてくれるのも読書でした。

 

読み終わって外の世界を見た時の、なんというか「戻ってきた」感覚。

でも戻りきれずなんとなくフワフワしてる頭の中。

あの時あの子に言った言葉、微妙に違うニュアンスで伝わっちゃってたかも

なんて考えてたさっきまでの自分が

少し遠くにいる感じで。

まぁいっか、とは思えなくても、

モヤモヤ度MAXからモヤモヤ度40%くらいにしてくれる。

 

本を閉じて顔を上げる。

電車の窓の外は真っ暗で

車内は不必要なほど明るくて。

窓に映る自分の姿。

あぁ、私だ。

ここだ。

本の中の世界と今の自分を行ったり来たりするあの感覚が好きでした。

 

1人、カフェで本を読む時の特別感。

外にいてもどこにいても自分だけの世界にワープできる魔法なような時間。

周りはザワザワしているのに

時間を忘れて文字の先に広がる世界に入っていける。

 

鬱からの復活

うつになり、

本なんてとんでもない!

文字が頭に全く入ってこない!

脳が情報を、刺激を拒んでる状況で

別の世界に入っていくなんて

脳内キャパオーバー。

 

読書しようとも思えない、

思ってもどうしても文字を読めない、

何年かそんな状態で過ぎていきました。

 

フルタイムの教員の仕事を辞めて何年か経ち、

パートさんしながら穏やかに生活していくうちに

本好きな子供たちにつられて、本を読もうかな?という気持ちになってきました。

 

初めは短いネット記事がやっとでしたが

だんだんと小説一冊読めるようになってきました。

こんな日が戻ってくるなんて。

鬱になって

ほんの少しの文字も

ほんの少しのメロディも

受け付けなくなってパニックになっていた

私の脳が戻ってきてくれたような懐かしさ。

 

 

52ヘルツのクジラたち

自分が読んだ本、なんとなく記録して置こうかなと思いました。

さくらももこさんの「もものかんづめ

持ってることを忘れて2冊目を買ってしまったことが大きなきっかけかもしれません。笑

毎回書かなきゃと思うのは疲れちゃうので、思い立った時だけ記事に残します!

感想とかはそんなに書きません。

ただ読んだ記録だけ。

 

さて、

知り合いの司書さんにたまたま会って

なんとなく話題に上がったのが

「52ヘルツのクジラたち」。

 

映画化されて、

杉咲花さんの雰囲気が元々好きだった私は

とても気になっていました。

映画観たいけど、まだ自分だけの時間は作れないし…

とりあえず本を読んでみました。

 

主人公のセリフは

すべて脳内で杉咲花さんの声に自動変換されちゃいました。

映画、観たいな〜

 

貰ってきたものをいつかは誰かにあげる側にならなきゃいけない。

って、お話の中であるおばあちゃんが言ってました。

でもちゃんと貰えていなかったら、

あげる物もないし覚悟なんて出来るわけないし。

自分になにかをくれる誰かを永遠に求めてしまう。

くれない(と自分が決めつけた)誰かは切り捨ててしまう。

なーんて、考えながら。

 

子供が寝た後、本を一気に読み終えて

パルム食べてしばらくふたつの世界を行ったり来たり。

 

良い夜でした。