先生を辞めた~私の場合~

教員の仕事、大好きだけど辞めました!鬱(再発防止期)と育児とお仕事の話。

自己流だけどコンプリメント〜救いたくて、救われた〜

 

このブログでは

主に鬱になって高校教員を退職した話を書いてきました。

自分の気持ちを振り返ったり、

前向きな決意を忘れないように記録したりしていたのですが、

最近わが子のことでそれどころ(?)じゃない日々。

 

この数ヶ月で感じたことや

忘れたくないことも、

ボチボチ記録していこうかと思います。

 

どうしたらいいものか

わが家の下の子が荒れてしまっていた話は前回の久しぶりな記事で少し書きましたが、

その間、たくさんの人に相談して

たくさんの本を読みました。

 

習い事に行きたくないというグズりから始まったかのように見えた不調でしたが、

だいぶ根深いものだったんだなと今となっては思います。

 

学校に行きたくないと突然大泣きで言われた朝のこと、

今でもハッキリと覚えています。

 

部屋に閉じこもってしまったり、

布団にくるまって固まって動かなくなってしまったり。

その他いろいろ、つらそうにしているまだ小さなわが子を見るのは胸が張り裂けそうなほど苦しいものでした。

 

(あまり子供のことに関してつらかったことを書き残すのは心が苦しいので、ここまでにしますm(_ _)m)

 

「好きなようにさせてエネルギーが貯まるのを待ったほうがいい」とか

「少し厳しくしてでも学校には行かせなきゃ」とか

色々。

聞いたし、読んだし、考えました。

 

でも全部うまく行く気がしなかったというか、

しっくりこないというか、

私の不安が消えることはありませんでした。

 

コンプリメントとの出会い

そんなとき、本棚にしまったままの本がふと目に入りました。

教員だった頃、

初めて担任をもった生徒が不登校気味になった時に読んだ本、

森田 直樹先生の

不登校は1日3分の働きかけで99%解決する』

でした。

 

そこに載っていたコンプリメントという声のかけ方、考え方、接し方、、

 

これだ!

と思いました。

涙が出ました。

 

この子には良いところがたっくさーんある。

「本当は学校に行きたいのに」、

「でも行くのが不安になっちゃう私を助けて」

って、この子は泣き叫んで伝えてるんだって

なんとなく感じていたにも関わらず

どうしたらいいのか分からなくて迷走していた私に

やっと明るい光がさしこんだような、

本当に救われた瞬間でした。

 

学校、行かなくたって別にいい。

でも、本人が行きたいなら背中を押してあげたい。

でもでも、どうしたらいいのか分からない。

背中を押すのが正解なのかもわからない。

自分の子なのに何もわからない。

ただ、助けたい。

居場所なんてどこでもいいから、

そのまんまの自分で、安心して笑顔で過ごせるようにしてあげたい。

 

そんな私に、

「親が知ってる、この子のいいところや持ってる力を、伝えればいいんだよ」ってこと、

そしてその方法を教えてくれたこの本には

感謝しかありません。

 

コンプリメントで救われたのは私の方

不安を感じやすいのは私も同じ。

どっしり構えなきゃと前向きでいたつもりでも、やっぱり一緒になって不安に押しつぶされてしまっていました。

 

無理に明るくしようとしてもダメだったけど

コンプリメントという方法を自己流ながら試してみたら、

自然と前向きに、明るくなれる時間が増えました。

 

有料のトレーニングには申し込まず(自己流でだめだったら申し込む覚悟はしてます)、

とりあえず本やホームページ、体験談などを読み込んで、

自己流でやっただけなので

知ったような書き方をするのはおこがましいのですが、

とにかく救われました。

 

下の子も笑顔が増えたし、

自分の良いところを自分で言えるようになって、

泣かずに、嫌なことや不安な気持ちを説明できるようになりました。

朝も泣かず嫌がらず、自分の力で歩いていけるようになりました。

 

子供の良いところ、持っている力を常に見つめていることで、

私も自然と前向きな言葉を多く使うようになりました。

 

今まで「こうしなきゃ」と当たり前のように思っていたことが

1つも当たり前じゃないってことも気付きました。

まぁいっか、なんとかなるさ。

そんな考え方になりたくてなれなかった私に

覚悟を決めて変わり始めるきっかけをくれたのは

大切なわが子でした。

 

最初からできるお母さんだったら良かったのに。

苦しい思いをさせて本当にごめん。

教えてくれてありがとう。

伝えてくれた強さ、本当にかっこいい。

ありがとう。

 

すぐには変わりきれないから、

忘れないように。

変わり続ける心を持って。

うまくできないことばかりだけど、

心を込めて子育てをしたいなと思います。

 

 

 

 

この数ヶ月のこと

 

なんてことだ〜

もう12月、もう年末。

前回の更新が8月かぁ。

 

暗い記事を書いてそのまま放置しておりました。

すみません。。

 

苦しかった数ヶ月

いつもほんわかして笑顔の可愛い、我が家の癒やし系だった下の子、

人が変わったように荒れてしまっていました。

 

学校も習い事も、

着替えや歯磨き、とにかく全て、

もうなにも頑張りたくないと、

心の叫びを爆発させていました。

悲鳴でした。

動けず、ずっと何かにイライラして、

つらそうで。

 

あぁ、なんでこんなになるまで気づいてあげられなかったんだ。

という後悔でいっぱいでした。

いや、今も、後悔だらけです。

 

 

そんな辛そうな我が子を見て、

どうしよう

不安になってはいけない

不安を見せちゃいけない

 

焦りと不安と、必要以上の将来への不安と

そして何より、罪悪感。

 

私のせいで。

私がこの子を。

 

そんな苦しさと同時に、

「いやいや、そんなに悲観的になっちゃだめだ」

「どしんと構えなきゃ」

という焦り。

 

弱っちくて情けないですが、

本当に苦しい毎日でした。

 

鬱も調子よく落ち着いてきたかなと思っていたのに、

一気に、感情の波で、悪化しました。

 

子供の前では絶対に元気でいたい、

これ以上つらい思いをさせたくない、

ただその一心で自分を保っていましたが

毎日じんましん。

 

そして粘膜という粘膜が腫れてしまい、

ストレスを強く感じると喉も腫れるようになり。

呼吸が苦しくなって息が実際にヒューヒュー音を立てるようになってしまいました。

 

 

私がこんなだから、、、

なんて思ってる場合じゃなーい!!!

 

自分がつぶれる前に

とにかく色んな人に相談して

学校や習い事や学童や家族、ママ友にも助けてもらいました。

 

助けてって言うのが子供の頃から苦手だった私も、

大切なわが子のためなら、ためらいなく、助けを求めることが出来ました。

なんだ、私、弱音はけるじゃん。

助けてって、言えたじゃん。

 

大事な人のためなら、変わる勇気だせるかも。

 

そして、

色んな本を読んで

大きくとらえすぎないように気持ちをコントロールして(そんなうまくは出来ないけど)

まずは家での関わり方を考えて考えて考え抜きました。

考えすぎて、今でもまぁまぁ心は疲れ果てているんですが。

 

本当に少しずつですが、状況は良くなっていきました。

 

最近はまた笑顔が戻って、

まだ不安定になりそうになりながらも本人なりに折り合いをつけて

過ごせているようです。

 

つらかったのは、私じゃなくて彼女。

子供なりにたくさん悩んで

思い切って、勇気を出して本音をぶつけてくれたこと、

今では感謝しています。

 

下の子、自分の良いところを自分でたくさん言えるようになりました。

たくましくなったなぁと感じます。

 

でも今でも、ずっと考えています。

うっかり自分の子供だからって油断しちゃうけど、

わが子だって1人の人間だってこと、

絶対に忘れないように。

考えて、認めて、この子は大丈夫って信じたいから、

これからも

忘れないようにしたいと思います。

 

 

ちょこっと日記〜私が変わるべき時〜

 

前回すごく重たい記事を書いてから、

さらにずっと悩み続ける日々でしたが、

 

その毎日の中で、

私の思考の癖や認知の歪みが

子育てにも反映されてしまっていたことを

やっと本当の意味で気付き始めました。

 

といってもまだまだ序の口で

これからもっと思い知ることになるかもしれないし、

いつになっても本当のことは見えないままなのかもしれない。

本当のことって、そもそも何?

とか、もうぐるぐるなんですが。

 

子どもたちのことは大好きで、それぞれの良いところは数えだしたらキリがないくらい。

ただここにいてくれるだけで、笑ってくれるだけで、幸せ。

そしてそれを伝えてもいたつもりだったんだけど、

伝わってたけど、下の子にはうまく伝わってなかったと言うか、、、

 

反省ばかりの毎日です。

 

巻き戻すことはできないから、これからをしっかり考えて。

せっかく出してくれたSOSを、今度は私が受け止めたいと思います。

 

学校や学童の先生、お友達のママ、

そして家族、旦那にも助けてもらっている夏休み。

ひとりじゃないって心強い。

 

なんとか頑張ります。

ここは、母として、頑張りたい。

 

ちょこっと日記〜うつの再発がこわくて〜

 

※いつにもまして暗い記事です。すみません。

 

前回の記事を書いてから、家の中でいろんなことがありました。

 

子どもたちの不安定さに向き合う苦しさを消化できず、

眠れず、食べれず、お腹を壊して、息苦しさを常に感じながら日々を過ごしていました。

 

もう少し気持ちが落ち着いたら詳しくかけるかもしれないし、ずっと書く気にはなれないかもしれないけど

大切な我が子の未来を、もしかしたら必要以上に、心配しすぎているんだと思います。

 

わかっているのに、

ずっと、頭から不安な想像や記憶が離れません。

ずっと、脳みそに霧がかかっています。

ずっと、泣きたい。

 

先日夜中、どうしても不安に囚われて眠れなくて苦しくて

旦那に助けを求めました。

助けを求めるのがとても怖かった。

少しでも嫌な顔をされたらどうしよう。

他に誰に頼ればいいんだろう。

 

鬱になったときの反省を活かして、今回は一人で抱えすぎないように、色んな人に相談しました。

でも、自分の子どもたちのことを一緒に悩んでもらいたいのはやっぱり旦那なんです。

 

少しでも嫌な顔をされたら。

と思うとこわくて、しばらく一人で泣いていました。

寝ようと思っても、眠いのに、ふっと眠りに入るあの瞬間に、過呼吸が起きそうになるんです。

違うことを考えたくても、溢れるように不安な想像が浮かんでくる。

 

鬱だった頃と同じ。

こわい。

 

またあんな自分になりたくない。

変われない自分がつらい。

 

旦那のところへ言って、

「今否定されたら頭がおかしくなりそうだから、絶対に否定しないで」と頼んでから話し始めました。

なんて臆病で思いやりがなくて身勝手な願いなんだ。

 

でも、そのあとは堰を切ったようにさらに涙が溢れてきて、

「助けて」

「こわい」

「もう鬱だったころに戻りたくない」

と繰り返しました。

 

吐き気がこみあげてきて、トイレにかけこみました。

子どもたちを起こしてはいけない。

これ以上ストレスを与えたくない。

こんな姿見られてはダメだ。

 

寝室を出て廊下に倒れ込んで、

とうとう起きてしまった過呼吸と闘いました。

 

こわい。

こわい。

こわい。

 

 

 

もう、子どもたちの生きる力を信じるしかありません。

私は、この恐怖になんとか飲み込まれないように、子どもたちを信じて、

どんな形でもいいからわが子たちにとっての明るい未来がくることをただ信じるしか、

強く居られる方法がありません。

 

 

いや、そんなに深く考える必要なんてもともとない事柄なのかもしれないんです。

鬱の再発に怯えすぎているだけかもしれない。

もともと不安を感じやすい気質だということもあって、脳が過剰反応してるだけなのかなとも思います。

 

落ち着いて。

落ち着いて。

今に集中。

 

ただ、今の仕事ではかなり気楽に働かせてもらってるので、鬱になった頃みたいに「仕事に行きたくない頑張りたくない」と思わなくて良いのは、

めちゃくちゃ楽。

すごく有り難いし、大きな違いだと思います。

 

でもきっとしばらくどんよりが続きます。

ブログを読んだり書いたりする頻度が下がりそうですが、

なんとか助けを求められるところは求めて、過ごそうと思います。

 

ちょこっと日記〜「○○しなきゃ」を捨てる試練〜

 

ここ数週間、

子供のことで、自分をがっつり見直す必要がありました。(今も真っ最中)

 

繊細で内気な下の子の集団生活でのつまづきに直面し、

私の関わり方、考え方、生き方を見つめ直しています。

 

反省することばかり。

たくさんたくさん可愛がって

愛情を言葉でも行動でも示してきたつもりでした。

でも、そうじゃなかった。

 

もちろん何が原因かなんて誰にも、本人にも分からないけど、、

私の中にある「○○しなきゃ」が生活の中にこびりついていたんだなと感じました。

 

そんな考え方をやめてみたいなと意識できたのは鬱になったとき。

退職して回復して、少しずつ気楽に生きられるようになった気がしていたけど、

 

実際そんなことなかった。

って、今回のことで痛感しました。

 

今も、いいお母さんの正解を求めてて、

こうじゃなきゃああじゃなきゃと

自分を追い詰めている気さえする。

 

「理想の自分」があるのは悪いことだと思わないけど、

私はなぜか「これじゃだめなんだ」が強すぎる。

 

子供にそんな考え方をしてほしくなくて、

変わりたいって思ってたのに。

 

変われてなかった。

 

 

あんまり食欲がない数週間。

久しぶりに息が苦しい数週間。

 

つらいけど、少しだけ「しなきゃいけないことなんてそんなに多くないんだな」って思える時間が増えました。

 

子供のために、自分のために、

変わるチャンスを我が子がくれた。

そんな気がします。

 

 

ちょこっと日記〜心配症な面倒くさがり、水筒と闘うの巻〜

 

「水筒って、もっと洗いやすくならないかな

って毎日かならず思ってる気がする。」

 

って上の子に言ったら、

「そんなこと考えてる間にさっさと洗えばすぐ終わるのに」

って言われました。

 

「確かに〜!」

って言ったけど、

今ふと振り返って考えると、

いや、自分の水筒なんだから自分で洗ってよ、です。

もう塾に行っちゃったので言えないんですけど。

帰ってきたら絶対に言おう。

 

 

確かにあれこれ考え過ぎて、結局なにも動かないという悪癖がある私は

水筒を洗うのですら、その手順や洗い残しのこと、あれこれ無意味に考えて、

めちゃくちゃ億劫になって、

後回しにしがちです。

石橋は叩いただけで引き返すタイプです。

(水筒洗うだけなので、叩くほどの橋でもないんだけど)

 

パッキンはずすのか〜とか、

乾かすところ確保しなきゃ〜とか、

泡が残ったらやだな〜しっかりすすがなきゃ〜とか、

いやいや、そんな大したことないわ!

さっさとやれよ!

って感じなんだけど、

なんか先に考えちゃって

心配症なのに面倒くさがりで(^_^;)

 

サバサバどころかバッサバッサしてる?上の子には、そんな私の癖もお見通しなようで

よく声をかけてくれます。

結局やるなら気持ちよくやれよと。

 

目の前のことに集中、ですね。

フルタイムで仕事してたときは、自分のこの癖にうまく対処するために、

とにかく「ひとつひとつ」と心の中でつぶやいて働いてましたが

最近そのことすら忘れてました。

水筒と上の子に感謝。

 

 

それにしても、水筒は

子供が産まれてからほぼ毎日のように使うのに、

とにかく洗うのが面倒です。

 

なるべくパッキン一体型とか、

飲み口が洗いやすそうなやつとか、色々探してみてるんですが、

保温保冷機能のためには?漏れるのを防ぐためには?ある程度は仕方ないんでしょうか。

 

水筒へのアプローチがだめなら、と

シュッと吹きかける洗剤とか、

柄の付いたスポンジのちょっといいやつとか

色々試したけどやっぱり面倒。

 

なんかこう、革命的な水筒が発明されないかな〜

っと、自分は何もせず他力本願で

子どもたちと私の分の水筒を洗い続ける毎日です。

 

 

退職あれこれ①〜辞める辞める詐欺の経験あり〜

 

私は、退職の申し出を2回しています。

 

1回目の退職申し出

はじめて退職を申し出たのは、

鬱の急性期でした。

 

持病持ちの下の子の育休から復帰して、

地区で一番荒れた高校で担任をして、

旦那は運動部の本気顧問のため朝も晩も土日もワンオペ。

ちゃんとやらなきゃ頑張らなきゃと思っているうちに眠るのが怖くなり、

眠れなくなり、

自律神経失調症になり、

鬱になって。

 

這いつくばって泣きながら働いている私に気づいた管理職が、声をかけてくれました。

(この辺の出来事も、詳しくは以前の記事に\(^o^)/)

 

毎朝の下痢嘔吐、寝る前の過呼吸

網膜の病気にもなり、脈も弱くなり、

おまけに何十年かぶりにアトピーにもなって。

涙が止まらなくて、ただ消えたくて。

家ではただうずくまって泣くばかり。

 

このまま衝動的に消えてしまいそうだとすら感じていたので、

声をかけてくれた管理職と校長に

「今担任してる子達を進級させて、3月末で退職したい」と伝えました。

 

辞める辞める詐欺(結果的に、ですよ)

私が決死の覚悟で泣きながら伝えた辞意。

大好きだった教員の仕事を辞めるのは、それなりに、いや、一生分の覚悟が必要でした(その時の自分にとっては)。

怖いし、不安だし、悔しいし。

 

それでも、鬱の真っ只中にいながらも、この状態が続くのは、

私の身体にも、もちろん心にも、

そして大事なわが子たちの精神的にもよくないと。

そう感じました。

そう感じられるうちに、治さなきゃいけないと思いました。

このままだと、完全に大事なものを見失うんじゃないかと予感がしました。

 

気が弱くて優柔不断な私の、決死の覚悟の言葉に対して

校長から返ってきた言葉は

「もうちょっと人に頼ってみてよ」

「そんなに頑張りすぎないでさ」

「今だけだから」

「こういうのは結局コミュニケーションの問題だから」。

 

何も言えなくなりました。

ただでさえ鬱でボーっとしている鉛のような脳みそでしたが、

さらにボーーーーっとしていったのを覚えています。

 

何を言っても伝わらないんだろうな。

この人にこれ以上自分の気持ちを話すのは、自分が傷つくだけな気がする。

 

その後、仕事内容の軽減を提案され、

なぜかそのまま働き続けることになったのです。

仕事を減らしてほしくて退職をちらつかせた「辞める辞める詐欺」みたいになってしまいましたが

この1回目の申し出も、本気の決断でした。

 

2回目の退職申し出

その後まったく治らない鬱と闘いながら、

相変わらず泣きながら這いつくばって働いていました。

近隣地区で1番大変な学校で金八先生ばりの事件だらけの毎日と

かわいいわが子たちの成長のはざまで。

毎日「消えたい」とつぶやいてずっと泣いていました。

 

異動したりもしました。

これまでの記事に書いたように色々なんだかんだしつつ

少しずつ元気になってきた頃、

改めて思ったんです。

 

やっぱり、ちゃんと治したいな。って。

 

1回きりのわが子たちの育児、

このままじゃ後悔しか残らない。

 

1回きりの私の人生、

「がんばらなきゃっ」て呪いから解放されてみたい。

 

少し元気になってきたことによって、前向きに退職する決断ができてきました。

 

そして、2回目の退職申し出をしました。

 

2回目の申し出は成功?し、

先生を辞めることになりました。

 

次回は、2回目の退職申し出の具体的な流れについて。