私の不調に気付いてくれた管理職の先生との面談。
うつを隠して数ヶ月働き続けていた私にとって大きな一歩になりました。
(この内容は過去の経験談です。今は復活してきて、再発防止期を平和に過ごしています。)
前回の記事はこちら⇩
管理職にうつを打ち明けたってことは
さて、管理職のお一人には今の体調のこと、うつのこと、休職か退職を勧められているということを話しました。
ご自身もうつと長くお付き合いされているとのことで、
励まされるというより、すっと受け止めてくださいました。
家ではうずくまったままほとんど動けないこと、朝は一番不安に襲われていてギリギリの状態で泣きながらなんとか職場にたどり着いていること、
子供を保育園に送って出勤するだけでものすっっっごいエネルギーが必要なことも、こちらから言わなくても察して心配してくれました。
話してみてよかった。そう思えました。
でも
「校長にも、伝えておくね」
そう言われたときに、あ、、と思いました。
そりゃそうです。
これは心療内科でもカウンセリングでもない。
職場での面談です。
教員が一人うつになっている。
突然来なくなるかもしれない。
そんなの共有しないわけにはいかないよな〜。
やっぱ言わなきゃよかったかも、と思いました。
休職にしても退職にしても、そのまま働くにしても、まだ覚悟が何もできていなかったから。
すごく怖くなりました。
毎日通っている通勤経路ですら「あれ?右?左?」と不安でぐるぐるして決められず、歩きだせ無くなってしまう状況だった私には、ここで求められた決断はすごーく重苦しいものでした。
決断をしなければいけない。
こわい。
私なりの決断
その当日だったか翌日だったか、校長面談が設定されました。
校長室で、一対一。
同じように、今度は泣かずに、なるべく落ち着いて話していきました。
前回の管理職との面談は午前だったのもあってかすごく気持ちが落ち込んでいたんですが(突然だったのもある)、
今回は放課後、もう夕方だったので、わりと気持ちは落ち着いていました。
一通り話して、私は「休職はしません。」と言いました。
「今担任している子達のことを3月末までみて、年度末で退職をしたいと思っています。」
私なりに悩んで悩んで出した結論でした。
担任している子たちのことが大好きだし、心配でした。
最底辺校と言われてしまう学校(大事なので毎回言いますが、一人ひとりはいい子達ですよ!)で、
警察や児童相談所にお世話になっている子も複数人いました。
私なんかよりずっとずっと苦しい状況なのに、歯を食いしばって過ごしている子たちがいました。
学校だけが安全な居場所だと、本人も私達大人も思うような、そんな環境に置かれている子もいました。
不器用で、生きていく上でつまづいてしまうことが他の子達より多くて。
それでも学校に来て「先生のクラスで良かった」って言ってくれる子達がいたんです。
私が先に逃げるわけにはいきませんでした。
今思えば、
逃げてもいいんだよって姿を見せるのも1つの在り方だったのかもしれませんが。
担任はやりきる。
だけど、自分の子どもたちのために、一度しっかり治したい。
それが私なりの決断でした。
頑張れ、って言われる苦しさ
校長から返ってきた言葉は、
「もうちょっと力抜いて、手を抜けるところは抜いてごらん。」
「もっと人に頼ってみな」
「コミュニケーションが大事なんだよ」
「今だけだからもうちょっと頑張ってみてよ」。
今なら一つ一つに言い返したい言葉がいくらでも浮かんできます。
手を抜けるところは抜いてます。病児育児と久しぶりの仕事の両立なんだから、当たり前です。
人にも頼っています。職場の皆さんもギリギリの状態なのに、いつも大らかで大好きです。
両立が大変なのも今だけかもしれないけど、子どもたちが母親をこんなに必要としているのも今だけかもしれません。
でもそのときは、
「やっぱり私が甘えてるんだ」
「うまく頼ることもできないダメな人間なんだ」
「もっと違う形で頑張らなきゃいけないんだ」
「私、そんなにダメなんだ」
としか思えなくて。
逃げ場がなくなって苦しくなりました。
「頑張っている人に頑張れって言うのは酷だよ」なんてよく聞く言葉、
頭では分かっていたつもりでした。
でもこのとき本当に痛感しました。
酷です。
頑張ってきたつもりだった私は、その時の言葉で一気に自分を否定し始めました。
そんな深く悩まなきゃいいのに〜!今ならそう思えます。
でもうつドン底な私は、自分でもうすうす気づいていた自分の弱点を全部見透かされたような、ダメなところを指摘されたような気分になってしまいました。
何よりその弱点を強く自覚せざるを得なくなってしまいました。
そしてまだまだ休職も退職もしません。。
その後の話はまた次に…⇩