先生を辞めた~私の場合~

教員の仕事、大好きだけど辞めました!鬱(再発防止期)と育児とお仕事の話。

「先生」を辞める決断①~長いこと悩んだなぁ~

ターニングポイントはやっぱり

地区で最も荒れた高校で、大変なものをたくさーん抱えた生徒たち。

その子達の担任をするというのは、それなりの覚悟が必要です。

 

家庭環境の複雑な子、人間関係を自ら壊してしまう癖?のある子、非行少年少女、一言もしゃべれない子、いわゆる発達障害を抱えた子。

ここでは書けないようなこともたくさんありました。

 

そんな子達にとって、学校ってどんな場所か。

バイトの合間になんとなく行くだけのところ。

夜遊びに行く前に、化粧しに行くところ。

仮眠するところ。なんて子もいれば、

 

唯一の安全な場所。

日常の苦しさを忘れられる場所。なんて子もいます。

 

中には、

人が多くて緊張するばっかりのところ。

ギャルやヤンキーばっかりで居づらいところ。

耐えるばっかりのところ。と感じる子もいたでしょう。

 

そして

今までの苦しい経験を乗り越えて、勉強を頑張って這い上がる場所。

と捉えていた子もいました。

 

とにかく、生徒たちはみんな、色んな重いものを抱えているんです。

私が高校生当時に必死に生きていたと思っていた人生は、なんてのん気で、守られていたのか。

こんな世界を生きている子達がいたのか、と世間を見る目が一気に変わる経験をさせてもらいました。

この経験が、良くも悪くも、私の人生を変える大きなターニングポイントだったと思います。

 

育休復帰

さて、そんな重たいものを必死に抱えている生徒たちに、生半可な気持ちでは向き合えません。

持病をもって生まれた下の子の育休からの復帰のとき、

私は時短や、副担任での復帰を希望していました。

中途半端に担任をやるのは、大事な高校生活を送る生徒たちにも申し訳ないと思ったからです。

でも、私の希望は叶いませんでした。

 

いわゆる荒れた高校には、人手が足りないことが多いです。

当時も、辞めてしまう先生、療休に入られる先生、そして亡くなられてしまう先生もいて

担任ができる人が足りませんでした。

いや、実際には少しは居たんですが、色々あって。

私は担任として復帰しました。

もちろん、時短はとれませんでした。

 

仕事と育児の天秤

復帰したら復帰したで、生徒たちと関わる日々はとてもとても楽しくて、大変だけどやりがいがあって。

大変なものを抱えている生徒たちが

「先生のクラスで良かった!」

「初めてこんなに話を聞いてくれる大人に会えた!」

なんて言ってくれるから。

頭の中は仕事のことでいっぱいになっていきました。

 

自分の子どもたちも小さいし、下の子は持病があるし、休むこともありました。

だから、その分は家で仕事しなきゃいけない。

そう思って、毎日文字通り眠らずに持ち帰り仕事をしました。

 

我が子たちのことを一番に考えたいのに。

できない。

仕事と育児を天秤にかけたら、私には結局どっちも重すぎて。

どっちも守れずに天秤ごとつぶれました。

 

あっという間に眠れなくなり、

自律神経失調症、そしてうつ病と診断されました。

 

その後の体調不良は今までの記事に書いたとおりです。

 

欝のまま働いても治らなかった

働きながら鬱を治すための最後のチャンスとして、異動もしました。

でも、結局治りませんでした(私の場合は)。

 

異動先で2年働いて、

やっと退職を決意しました。

 

この決断にたどり着くのに、あわせて4年。

長くかかりました。

その間、365日、24時間。

ずっと悩んで、ずっと泣いていました。

その間にも、かわいい我が子達は大きくなっちゃうのにね。

 

小学校の卒業文集でも、自分のことを「優柔不断でどうしようもない」と書いた私。

いい大人になっても何にもかわってません。

むしろ、ひどくなってるんじゃないか?

 

ここからは、

退職を決意してからのことを書こうと思います。

1回目の退職の申し出は、以前書いたように「辞める辞める詐欺」みたいになって未遂で終わりましたが、

今度は本当に、そしてちょっと前向きに退職に向かっていきます。