先生を辞めた~私の場合~

教員の仕事、大好きだけど辞めました!鬱(再発防止期)と育児とお仕事の話。

鬱のまま働く⑥〜クリスマスの悲劇と自律神経症状〜

ここまで、持病のある下の子を抱えての育休復帰、荒れた高校での担任業、そして鬱と診断されたけど退職できなかった話などをまとめてきました。

メンタルだけでなく、いろいろな身体症状もありました。

(今はパートしながらのんびり生活して、回復しています!)

 

30年ぶり?のアトピー再発や、

繰り返す中心性漿液性脈絡網膜症(部分的な網膜剥離みたいなやつ)、

毎日の嘔吐下痢にめまい、耳鳴り、、、

 

今回は、面談中に自立神経症状に襲われた、忘れられないクリスマスの出来事を書こうと思います。

 

体育の次の時間はケンカしやすいらしい

教員時代に先輩から教えてもらったことのひとつに

体育の後はケンカが起きやすい

という名言?がありました。

 

教室の座学では交わることのない人間関係。

特に集団競技で目立ってしまう得意不得意の差

相手チームに勝ちたいと思う子達の熱量。

 

いろいろな要素が組み合わさって、

スポーツが得意な子は苦手な子にイライラしたり、

苦手な子は「早く動けよ」なんて言われ続けてストレスがたまったり。

 

私も運動はそんなに得意じゃなかったから

特に小学生の頃は辛かった記憶もあります。

 

 

さて、そんな名言?を教えてもらったのは、2学期末のある日。

わが子たちとクリスマス当日にサンタさんからのプレゼントを開けるのを楽しみに、

私は二学期の成績処理や年末の仕事をがんばっていました。

 

授業から戻ると、職員室に入るなり呼び止められました。

Aくん(私のクラスの生徒)が、加害で特別指導に入る。

 

えー?!

すごく不器用だけど穏やかで優しいAくん。

少しみんなとペースが違っていてため込んでしまいそうなところもあったので、放課後よく話をしていました。

Aくんの方も人懐こいので、嬉しかったことも困ったことも、色々なことを話しかけてくれました。

 

そんなAくんが何をしてしまったか。

もちろん詳しくは書けませんが、

体育の時間に運動が得意な生徒とちょっとしたいざこざがあり、

我慢したんだけど、その次の授業中についにこらえきれなくなってしまったそう。

先輩から「体育の後にケンカは起きやすいから。」と言われました。

 

管理職面談中に

その生徒指導では本人たちとも、親御さんとも、色々ありました。

大変だった。。

とてもいい親御さんだし、その後もよい関係を築けたのですが

なんせ彼には本人も困り感を抱えている特性があったので、

とても根の深い指導となりました。

 

そして管理職を交えてのAくん親子との面談の日。

親御さんのお仕事の都合で、クリスマスの当日、早朝でした。

保育園への送りは旦那に任せて、子どもたちが起きる前に出勤しました。

 

その時にはもう鬱の症状が出ていて(Aくんの件が原因ではありません)

だいぶ心身ともにやられていた私。

 

管理職の話が長くなるにつれ、だんだん冷や汗がとまらなくなってきました。

落ち着いて話をしていたはずなのになんで?

 

やばい、落ち着かなくちゃ

と思っていると今度はひどい吐き気まで襲ってきました。

 

冷や汗、吐き気、悪寒もしてきました。

脈拍も異常に速くなっているような体感で、とにかくじっとしているのがつらかったです。

一言ことわって席を外させてもらい、トイレへ。

 

その廊下で、もう耐えられなくなり。

うずくまって吐き気とたたかいました。

 

落ち着いてからまた戻りましたが、

完全に自律神経が暴走していたんだと思います。

 

クリスマスの後悔

年に一度のクリスマス。

不器用なりにいつも頑張っていたAくんに、こんなクリスマスを迎えさせてしまった。

もっと何ができることがあったんじゃないかな。

 

Aくんをずっと大事に育ててきた親御さん。

小さい頃から大切に過ごしてきたであろう日に、あんな表情をさせてしまった。

私、もっとうまいフォローができたんじゃないかな。

 

いつも仕事ばかりの私を笑顔でむかえてくれるわが子たち。

サンタさんからのプレゼント、見つけて喜んでいるわが子たちの姿を見たかったな。

あっという間に大きくなってしまうのに。

隣りにいてあげられなくてごめんね。

 

鬱になる前だったら断ち切れていたかもしれないネガティブすぎる感情に、完全にとらえられてしまっていました。

自分の要領の悪さや力不足を責める気持ちばかりが心につもりつもって、

泣いてばかりのクリスマスでした。

 

わが子たちは私がいなくても楽しそうなクリスマスだったようです(・∀・)