前回の記事では、担任として巡り合ったある親子との出会いについて書きました。
私自身も鬱になって心身ボロボロだった年。
鉛のような脳と体で、泣きながら這うようにして働いていたあのころ。
その渦中で出会ったAさん親子の姿や思いが、私にはとても重く感じられました。
そして、その数年後に最終的に退職の決断をするときの、大きなきっかけにもなりました。
Aさん親子の問題
Aさん親子は、他の兄弟も含めて、何らかの精神的な問題を抱えていました。
特にお母さんは、長く重い精神疾患を患ってらっしゃいました。
担任してしばらくはそのことを知らず、面談や電話での印象から、明るくて愛情たっぷりなお母さんだと感じていました。
でも、担任している間に、色々な問題が起こりました。
詳しくは書けませんが、
お母さんとAさん、兄弟の問題だけでなく、
Aさんはその不安定さから、クラスメイトとのトラブルも常に起こしてしまっていました。
バイト先でもトラブル続きで、バイトを転々としているようでした。
ひとつひとつが、ケンカの一言で片付けられるものではなく、
度々、児童相談所や警察が関わっていました。
教員としての無力感
とにかく、すべてが不安定でした。
精神的にも、家族の一人ひとりが不安定。
1分前と言っていることが全然ちがうし、突然感情のコントロールがきかなくなる。
人間関係を自分から壊しにいってしまうし、そのわりにずっと寂しそうでした。
そんな状態なので、経済的にも、社会的にも不安定でした。
詳しくは書けませんが、私には何もできないんだなって無力感でいっぱいになりました。
なにかの縁があって学校で出会って、
たくさん話をして、
「先生のクラスで良かった〜」って言ってくれて。
その日その日の問題に一緒に向き合うことはできます。
いくらだって話は聞けます。
でも、家庭の問題は解決できない。
そして、卒業したら、もう基本的には関係がおしまい。
たったの3年間。
私が何をしてあげられるかな。
卒業後の社会につなぐ高校の教員としての役割を、深く考えさせられる毎日でした。
Aさん母の言葉
ある日、進路のこと、通院のこと、学校での過ごし方、色々課題があったので、
私とAさん母、養護教諭とAさん、の組み合わせで別々に面談をしていました。
Aさん母が話してくれたそのときの言葉が、私の心に重たく残り続けました。
「本当はあの子のこと、解放してあげたい」
「でも、兄弟の中で1番私のことを好きでいてくれているから、離れるのが怖い」
「1番好きでいてくれるから、1番振り回してるし、依存している」
「健康なお母さんでいられた頃にはもう戻れないかもしれない」
涙をぐっとこらえるAさん母の話を聞いていて、私も泣いてしまいました。
Aさん母は強いと思いました。
自分の弱い(?)ところを素直に人に話せて、
すごく苦しいだろうに、こうして子供のために学校に出向いてくれて。
ご自身ではそう思ってらっしゃらなかったかもしれませんが、私は強くてかっこいいお母さんだと心から思いました。
Aさん母が、Aさんをちゃんと愛していたこと、私には伝わっていました。
Aさん自身にも、もちろん伝わっていました。
でも、だからこそ、複雑でした。
家族って、思っているよりずっと簡単に形が変わってしまう。
そして、簡単に離れることはできないんだなって。
じゃぁ、私自身は…?
感情移入しすぎちゃいけない。
だけど、うつ病だった私自身も、同じように感じていたんです。
特に上の子は保育園児にしてはしっかりしていて、下の子の面倒もみてくれていました。
毎日うつでボロボロで、家では指一本も動かせない母親のかわりに、下の子と健気に遊んでいてくれました。
それなのに、その小さな健気な上の子に、私は八つ当たりのようなことを繰り返していました。
最低です。
母親失格だって分かっていたけど、止められなかった。
上の子は、それでも表面上は普通に過ごしてくれていました。
下の子は、よく笑う子だったのに、笑わなくなりました。
好きでいてくれているから、甘えていたのか。
好きなのに上手く愛せない自分が悔しかったのか。
色々考えてみても、あのときの自分を許すことはできません。
表面上は取り返せても、本当の意味では決して取り返すことのできないことをしました。
笑顔のお母さんに戻るための退職
Aさん母の言葉を、本当は、担任として、淡々と受け止めるべきだったのかもしれません。
でもそのときの私は、精神疾患患者として、母親として、決して他人事ではないと感じました。
(感情移入しまくって、仕事できてないですね。)
ずっとずっと心の中で繰り返し考えていました。
そして、異動して少し回復してきたころ、
やっと冷静に答えを出すことができたんです。
私は、どうする?
異動してみたけど、働きながらうつを治す器用さなんて私にあるの?
笑顔でいる母親を、わが子たちから奪う権利なんて、私にはないんじゃない?
1番身近な母親が不安定でいたら、わが子たちからももっと笑顔を奪っちゃうんじゃないの?
そんな子育てがしたかった?
私は、笑顔のお母さんになりたい。
2回目の退職申し出。
今度は誰になんと言われようと、揺るがないと決めました。
(数年前の経験談です。今はすっかりのん気なおかーちゃんしてます(^_^)でも、あのときの後悔は絶対に忘れません。)