先生を辞めた~私の場合~

教員の仕事、大好きだけど辞めました!鬱(再発防止期)と育児とお仕事の話。

「先生」を辞める決断③~ある親子との出会い 後編〜

 

前回の記事では、担任として巡り合ったある親子との出会いについて書きました。

 

私自身も鬱になって心身ボロボロだった年。

鉛のような脳と体で、泣きながら這うようにして働いていたあのころ。

 

その渦中で出会ったAさん親子の姿や思いが、私にはとても重く感じられました。

そして、その数年後に最終的に退職の決断をするときの、大きなきっかけにもなりました。

 

Aさん親子の問題

Aさん親子は、他の兄弟も含めて、何らかの精神的な問題を抱えていました。

特にお母さんは、長く重い精神疾患を患ってらっしゃいました。

担任してしばらくはそのことを知らず、面談や電話での印象から、明るくて愛情たっぷりなお母さんだと感じていました。

 

でも、担任している間に、色々な問題が起こりました。

詳しくは書けませんが、

お母さんとAさん、兄弟の問題だけでなく、

Aさんはその不安定さから、クラスメイトとのトラブルも常に起こしてしまっていました。

バイト先でもトラブル続きで、バイトを転々としているようでした。

ひとつひとつが、ケンカの一言で片付けられるものではなく、

度々、児童相談所や警察が関わっていました。

 

教員としての無力感

とにかく、すべてが不安定でした。

精神的にも、家族の一人ひとりが不安定。

1分前と言っていることが全然ちがうし、突然感情のコントロールがきかなくなる。

人間関係を自分から壊しにいってしまうし、そのわりにずっと寂しそうでした。

 

そんな状態なので、経済的にも、社会的にも不安定でした。

詳しくは書けませんが、私には何もできないんだなって無力感でいっぱいになりました。

 

なにかの縁があって学校で出会って、

たくさん話をして、

「先生のクラスで良かった〜」って言ってくれて。

その日その日の問題に一緒に向き合うことはできます。

いくらだって話は聞けます。

でも、家庭の問題は解決できない。

そして、卒業したら、もう基本的には関係がおしまい。

 

たったの3年間。

私が何をしてあげられるかな。

卒業後の社会につなぐ高校の教員としての役割を、深く考えさせられる毎日でした。

 

Aさん母の言葉

ある日、進路のこと、通院のこと、学校での過ごし方、色々課題があったので、

私とAさん母、養護教諭とAさん、の組み合わせで別々に面談をしていました。

 

Aさん母が話してくれたそのときの言葉が、私の心に重たく残り続けました。

「本当はあの子のこと、解放してあげたい」

「でも、兄弟の中で1番私のことを好きでいてくれているから、離れるのが怖い」

「1番好きでいてくれるから、1番振り回してるし、依存している」

「健康なお母さんでいられた頃にはもう戻れないかもしれない」

涙をぐっとこらえるAさん母の話を聞いていて、私も泣いてしまいました。

 

Aさん母は強いと思いました。

自分の弱い(?)ところを素直に人に話せて、

すごく苦しいだろうに、こうして子供のために学校に出向いてくれて。

ご自身ではそう思ってらっしゃらなかったかもしれませんが、私は強くてかっこいいお母さんだと心から思いました。

 

Aさん母が、Aさんをちゃんと愛していたこと、私には伝わっていました。

Aさん自身にも、もちろん伝わっていました。

でも、だからこそ、複雑でした。

家族って、思っているよりずっと簡単に形が変わってしまう。

そして、簡単に離れることはできないんだなって。

 

じゃぁ、私自身は…?

感情移入しすぎちゃいけない。

だけど、うつ病だった私自身も、同じように感じていたんです。

特に上の子は保育園児にしてはしっかりしていて、下の子の面倒もみてくれていました。

毎日うつでボロボロで、家では指一本も動かせない母親のかわりに、下の子と健気に遊んでいてくれました。

 

それなのに、その小さな健気な上の子に、私は八つ当たりのようなことを繰り返していました。

最低です。

母親失格だって分かっていたけど、止められなかった。

上の子は、それでも表面上は普通に過ごしてくれていました。

下の子は、よく笑う子だったのに、笑わなくなりました。

 

好きでいてくれているから、甘えていたのか。

好きなのに上手く愛せない自分が悔しかったのか。

色々考えてみても、あのときの自分を許すことはできません。

表面上は取り返せても、本当の意味では決して取り返すことのできないことをしました。

 

笑顔のお母さんに戻るための退職

Aさん母の言葉を、本当は、担任として、淡々と受け止めるべきだったのかもしれません。

でもそのときの私は、精神疾患患者として、母親として、決して他人事ではないと感じました。

(感情移入しまくって、仕事できてないですね。)

 

ずっとずっと心の中で繰り返し考えていました。

そして、異動して少し回復してきたころ、

やっと冷静に答えを出すことができたんです。

 

私は、どうする?

異動してみたけど、働きながらうつを治す器用さなんて私にあるの?

笑顔でいる母親を、わが子たちから奪う権利なんて、私にはないんじゃない?

1番身近な母親が不安定でいたら、わが子たちからももっと笑顔を奪っちゃうんじゃないの?

そんな子育てがしたかった?

 

私は、笑顔のお母さんになりたい。

 

2回目の退職申し出。

今度は誰になんと言われようと、揺るがないと決めました。

 

(数年前の経験談です。今はすっかりのん気なおかーちゃんしてます(^_^)でも、あのときの後悔は絶対に忘れません。)