先生を辞めた~私の場合~

教員の仕事、大好きだけど辞めました!鬱(再発防止期)と育児とお仕事の話。

「先生」を辞める決断⑥〜HSPという考え方〜

HSPという言葉

最終的な退職の決断をしたころ、

HSPという言葉と出会いました。

いろいろなところで話題になった、ハイリー・センシティブ・パーソンというやつですね。

 

自分の性格を枠にはめるのもどうかと感じつつ、

でも今まで気になっていた自分の特性を整理するために、本やネット記事や色々なものを読みました。

 

自分のことを内向的だとは思っていましたが、このHSP の特徴もほとんどあてはまるんですよね。

 

私の場合は、HSPという考え方と出会ってすごく楽になりました。

私の努力や勇気が足りないせいでこんな気にしすぎな性格になってしまったんじゃないかと、

こんな自分を無意識に否定し続けて、責めていたから。

 

これは私の生まれ持った特性で、否定しなきゃいけないものではなかったんだって、

そう思えたことで、強張っていた気持ちを少しゆるめることができました。

 

今までの苦しかった記憶

小さい頃から今までの、ずっと気になっていた自分の不器用な部分がたくさん思い起こされました。

 

小さい頃、いとこたちと遊んでいたとき、

みんなの意見や考えを感じすぎて考えすぎて、

私はよく輪を外れて一人でいたりしました。

大人たちには「気難しい」と言われ、私もそんな自分が恥ずかしくて、でも直せなくて、ずっと嫌いでした。

でも、今思えば、頭の中がパンクしてたんです。

一人ひとりの表情や声色、直前の言葉や、全体の雰囲気、全てに神経を張り巡らせて、もうそこにいるのが辛かったんです。

いや、神経を意図的に張り巡らせていたわけじゃなくて、勝手に張り巡っちゃってどうしようもない、みたいな。

 

友達といるときも、頭に「社交的でいることが正解」という勝手な価値があったから、

自分の思う「正解な自分」を演じていました。

相手の必要ないところまで気にしてしまってすごく疲れて、

自分の一言一言が正解だったのかどうか、ずっとぐるぐる考えてしまって。

 

大きな音や刺激の強いものも苦手だったけど、鼓膜が痛くてビービー鳴っていても、

そんなことを言う自分がだめな子な気がして、誰にも言えなかった。

音楽の時間は音が大きくてつらかったなって、そのときに初めて意識して、気付きました。

 

前向きに退職するための気付き

退職を決断するころになって始めて出会えたこの考え方に、やっと救ってもらえました。

 

もっと早く出会えていたらどうだったかな?

もう少し早く気持ちを緩めて、自分を許してあげられていたかな。

なんて、後悔もありました。

 

でもそれ以上に、前向きな気持ちになれました。

私はこれから、自分のこの感じ方を否定しないで生きていきたいと、思えるようになりました。  

 

HSPという枠に私が当てはまるのか、それはきっと誰にも分からないけど、

その考え方を知ったことで、自分の感じ方の特性について改めて、いや初めて、

肯定的に、客観的に、見つめ直すことができました。

 

一度心身ともにきちんと回復して、

自分の感じ方を否定しないで生き直したい。

前向きな退職に向けての一歩です。