数年前、鬱も少しずつ落ち着いてきたこともあり、
前向きに教員の仕事を退職する決断をしました。
今日は、その時に見つけた、そして今も大事にしたいと思っている、「私なりの生き方の目標」について。
子供のために?
退職を考えている間、
よく「子どもたちのためには辞めない方がいい」とか
逆に「子どもたちのために、退職して鬱を治した方がいい」とか
色々アドバイスをもらいました。
アドバイスをくれることは本当に有り難くて、
寄り添ってくれることにはもちろん感謝をしていましたが、
どうしても自分の中で、
「子どもたちのために」という軸で退職の決断をすることはできませんでした。
夢だった仕事を
「子どもたちのために」辞めるなんて
そんなふうに考えたくなかったし、
考えられませんでした。
子どもたちにそんな責任を負わせたくなかった。
というのもあるし、
そんなに深く考えるまでもなく、その考え方には違和感がありました。
自分のために。
「子供たちのために」ではなく
「私自身のために」辞めたいと思っていました。
私の人生だから、
私が、私の意志で、私のために、
決めなければいけないと感じていました。
「私が」子どもたちとの時間をゆとりを持って過ごしてみたい。
「私が」もうこれ以上の後悔をしたくない。
「私が」きちんと自分の心と向き合って生きてみたい。
今まで、この「私が」という主張を、他人に伝えたことはあまりありませんでした。
それどころか、
自分自身に対しても「私はどうしたい?」という疑問は、本当の意味で投げかけていなかったのかもしれません。
とにかく大変な道を選ばなきゃいけない、私はダメな人間だからもっと頑張らなくちゃ、と、
自分の気持ち以外の何かを基準にして今まで生きてきたのかもしれないなと
鬱になったことによって気づきました。
自分の心に違和感を感じても、
それは私が弱いからだ、甘えてるんだ、とずっと蓋をしてきたんです。
でも、ボロボロになって初めて、自分の心に本当の意味で向き合うことができました。
いや、向き合えたのかは分からないけど、向き合えていなかったなって、
自分の弱さや苦しさをやっと認めてあげることができました。
この退職の決断は、
誰かのせいでも誰かのためでもなく、
私が自分で自分の人生を生き直すための、
前向きな決断なんだと捉える覚悟ができてきました。
覚悟はできたけど…
さぁ、あとは実際に退職にむけて動き出すだけ…
なんですが、やっぱりまだまだ優柔不断。
不安は強いし、判断力も行動力もミジンコ以下。
退職の申し出までにまた鬱の波に飲まれたり、
泣いたり悩んだり。。
次回からは、最終的な退職の申し出以降を書いていきたいなと思います。