先生を辞めた~私の場合~

教員の仕事、大好きだけど辞めました!鬱(再発防止期)と育児とお仕事の話。

「先生」を辞める決断⑩〜ある夏の日に気づいた、先生じゃない生活への憧れ〜

 

すっかり更新ペースが落ちてしまいました〜!

それでも、マイペースながらぼちぼち記事を書いていこうと思います(^^)

 

今でもよく、教員を辞めることになってしまった自分が情けなくて悔しくてたまらなくなって、

涙が止まらなくて夜眠れないときがあります。

そんなときは、ここで気持ちを吐き出して、自分の決意を見直させてもらっています。

 

育休復帰から退職の決意まで

持病持ちの子を含む二人の乳幼児を抱えての育休復帰、

バリバリ運動部顧問の旦那は家にいなくてワンオペ育児(でもいい人)、

時短希望もかなわずフルタイム勤務、

地区で一番荒れた高校でワケアリ担任。

 

頑張らなくちゃ、ちゃんとやらなくちゃと思っているうちに眠れなくなり、

あれよあれよと体調を崩して

自律神経失調症、そして鬱と診断されました。

 

夢だった、大好きだった教員の仕事を辞める決心がつかず、

その後も泣きながら、這いつくばりながらなんとか仕事をしていました。

でも次第に、治らない体調と精神状態、

子供への影響を考えて、

退職を考えるようになっていきました。

 

 

柔らかな日々への憧れ

そんなある真夏の日、

仕事の帰り道に

部活帰りの女子高生を見かけました。

 

暑そうだな〜。

あの子がもし自分の子供だったら、

ふかふかのタオルを用意して

シャワーあびてきなと言ってあげたいな。

と、ふと、自然に、思いました。

 

なぜか、涙が出てきました。

 

そんな温かくて柔らかい生活、してみたい。

私、ゆっくり暮らしてみたいんだな。

 

あれやらなきゃこれやらなきゃ、

情けないとか消えたいとか辞めたいとか、

一日中そんなことばっかり考えてしまう自分が

本当に苦しくてつらくて。

 

その時にふいに思い描いた我が子達との日常が、

すごくキラキラしていて。

 

その真夏の日に抱いた憧れのような感情は、

今でもはっきりと覚えています。

 

仕事を辞めたからって、全てが楽になるわけではないことは分かっています。

そんな甘えたこと言ってられるのも、結局は恵まれた環境だからなんだとも思います。

 

でもとにかく、そのときは鬱の状態から抜け出したくて。

そのキラキラした光に自然と涙が出ました。

 

子供だった頃の私

私自身の両親も、教員でした。

放課後はお留守番で、

友達と遊んだりして過ごしたあとは

よく、誰かが帰ってくるまで玄関の前の階段に座ってベビースターを食べていました。

 

ベビースターが特別好きだったわけではないんですが、

母が私の好物だと思って繰り返し買ってきてくれるのが嬉しくて、

誰かが帰ってきてくれるのを待ちながら、一本一本ゆっくり食べていました。

 

寂しい時もありましたが、

そんな忙しい両親のことを誇りに思っていました。

教員として楽しそうに、プライドを持って働いている親の姿を見て、かっこいいなと思っていました。

 

初めて、生き方を考える

でも、自分が親になって

鬱になって、

もしかしたら初めて、生き方を考えさせられました。

 

私は、親と同じ人生じゃなくていいんだ。

私は、このままでいいのかな。

 

そしてその夏の日に感じた憧れが

私の中にあった1つの答えに気づかせてくれました。

 

家に帰ってきたときに誰かいるってどんな感じだろう。

親と過ごす放課後ってどんな感じだろう。

家族との時間を第一にして、

自分のことも大切にしてあげられるような

穏やかな生活、してみたいな。

 

限界まで頑張らなきゃ、いつも大変な道を選ばなきゃと思っていた人生だったけど、

もしかして、そんなに頑張り続けなくてもいいんじゃない?って。

そんな生き方も良いんじゃない?って。

 

子供のためなんかじゃなくて、

私自身がそれを知りたい。

そう思いました。

 

 

あの夏に見かけた女子高生、

どこのどなただか分からないけど

私に大切なことを考えさせてくれてありがとう!

前向きな退職への大きな一歩だったと、今でも思っています。