先生を辞めた~私の場合~

教員の仕事、大好きだけど辞めました!鬱(再発防止期)と育児とお仕事の話。

「先生」を辞める決断⑨〜母へ言えない「情けない娘でごめんね」〜

 

ここまでの記事に書いてきたように、

私は数年前に教員を退職しました。

 

子どもの病気のこと、自分の心身の不調、経済的なこと、夢だった「先生」という仕事への未練…

まだ頑張れるんじゃないか

甘えてるだけなんじゃないか、と

辞めるか辞めないかいったりきたり。

決断するまでには年単位で時間がかかりました。

 

今日は、決断するまでの長い過程での、実母との関わりについて。

 

ロールモデルとしていた母

実母は、私と同じように高校教員をしていました。

フニャフニャ優柔不断な私と違って、

かなりチャキチャキしてる人です。

(父も教員でしたが、父には鬱のことはあまり話さなかったので今回は母についてだけ)

 

今思えばこんなにタイプが違うのに

私の中での人生のロールモデルは母でした。

 

忙しく働く母を見ながら育った私は

寂しいと思うこともあったけど

それ以上に憧れを持っていました。

教員としての母を誇りに思っていました。

 

自分が母と違ってかなり内向的だと自覚していなかった私は、

人生の先輩としての母の進んできた道に合わせるように、人生の選択をしてきました。

無意識のうちに、です。

身近な大人に教員が多かったのもあり、自然と同じような未来を思い描くようになっていました。

 

当たり前のように描いていた未来から道をそれてしまうことは、私の中で怖いものでした。

私だけできなかった。

同じように頑張れなかった。

優秀だと言われ続けてきた人生だったのに、

落第マークをおされたような気分でした。

 

働き者な母にうつのことを話す葛藤

退職の話をすること。

鬱であることを告げること。

 

気持ちの問題と言われるんだろうな。

情けない娘で申し訳ないな。

私だけがこんなことになって、恥ずかしいな。

そんなことばかり考えました。

 

他の人たちと同じように、

まだ頑張れるよ

もったいないよ

もっと肩の力抜いて

今だけだから

と言うんだろうな。

 

もう、その言葉を聞くのは嫌でした。

私のためを思って言ってくれているんだろうけど

「私だってそんなこと分かってる。

分かってるけどできないからこうなっちゃったのに。」

と、心を閉ざしたくなるからです。

 

働き者で有名な母に、

私が鬱になったこと、受け入れてもらえるんだろうか。

自分の道標のように思っていた母にすら、心を閉ざすことになるかもしれない。

そんなことを悩みつつも、話すことに決めました。

 

「情けない娘でごめんね」

鬱になる前から自律神経はボロボロで身体の不調も多かったので、

その話は伝えていました。

母も、私の数々の病名を聞いて心配してくれていました。

 

退職しようかと思っていると言ったとき

何も否定などされませんでした。

もったいないとは言われましたが、

でも、それがいいんじゃない?とも言われました。

 

きっととてもとても複雑な気持ちだったと思います。

 

謝られました。

もっと助けてあげればよかったね、って。

復帰の年に担任を引き受けるの、止めればよかったって思ってた、って。

 

私が採用試験に受かったこと、喜んでくれたのにな。

「どこに出してもはずかしくない娘だよ」って一度だけ言ってくれたの、嬉しかったのにな。

私も母みたいに誇りを持って定年まで働くつもりだったのにな。

 

情けない娘でごめんね。とは

今になっても一度も言えていません。

 

そんな言葉、聞きたくないだろうから。

「教員としてもだめだったし、

娘としてもだめだった。」なんて

そんなふうに思っている私を見せるのはもっと心苦しい。

でも、ずっと思っています。

もっと自慢できる娘でいたかったなって。

 

 

今はかなり復活して、やりたいこともたくさん思いつくようになってきました。

教員は辞めたけど、

自分の人生を楽しむことで

この情けなさをふっとばしたい!

 

少し治ったら、もう一度自分の人生を自分の力で彩って、

私は幸せだよ、

もう大丈夫だよ、って伝えたい。

 

たぶん一生言えない、

いや、言わない「情けない娘でごめんね」の言葉は、

私をもう一度奮起させるための秘密の、少し苦い、魔法の言葉です。