先生を辞めた~私の場合~

教員の仕事、大好きだけど辞めました!鬱(再発防止期)と育児とお仕事の話。

ちょこっと日記〜箱じゃない筆箱〜

 

今日は、むぎさんの、なんだか安心した話。

 

手の甲の大胆メモ

先日仕事から帰ったら

下の子むぎさんが満面の笑みで

手の甲を見せてきました。

 

むぎさんのまだまだ小さな手の甲には

マッキーで

「ポーチの筆箱!!!!!」

と大きく書いてありました。

 

「明日から箱じゃない筆箱もってくことにした!」

とのこと。

 

入学した時に、

箱型の筆箱を推奨されるうちの地域の小学校。

鉛筆が折れないようにとか色々。

きっとどこもそうなのかな?

 

でもだんだんと

かわいいポーチ型のペンケースを使う子が増えてきます。

むぎさんもとうとうペンケースデビュー!!

 

‥‥実はこの日を迎えるまでに

親子の色々がありました。

たぶん他の人にとっては些細なこと。

でも私にとっては大事なこと。

 

 

無意識の否定

あれはむぎさんが荒れ始めた夏の始まりの頃、

私に何度か

「箱じゃない筆箱が欲しい」

と頼んできたことがありました。

 

ん?まだ早くない?

上の子こめさんの時はもう少し遅かったよ?

他に使ってる子はいるの?

ずるいって言われちゃうんじゃない?

と、

あまり深く考えずに答えたのを覚えています。

この何の気なしの返答を、私は後悔しています。

 

 

やっぱり怖いから使わない

そのあともしばらく欲しいと言っていたので

何かの機会で買ってあげました。

 

むぎさんが選んだ、お気に入りのペンケースです。

大好きなお友達も似たようなものを持っているみたい。

 

よし、明日はこれを使いたいから登校渋りしないかな。

お友達とも会話が弾むといいな。

そう思いながら一緒にテンションをあげてペンケースの中身を揃えました。

 

次の日の朝。

ランドセルを背負ったむぎさんが不安そうに

「やっぱり怖いからあの筆箱使わない」

と言い出しました。

今にも泣きだしそうな顔で。

 

あー、、

やっちゃった、、

 

私は自分の言動を振り返り、後悔しました。

 

繊細なむぎさんには、

私の無意識の否定的な言葉が

よく突き刺さってしまうんです。

そして、不安を植え付けてしまう。

 

ただでさえその時期は、不安で苦しくて辛い毎日だっただろうに。

 

まだ早いかな。

ずるいって言われちゃうかな。

 

きっと小さな胸の中には

私が植え付けてしまった不安の種が芽を伸ばして、ぐるぐる渦巻いていたのでしょう。

ごめんね。

ごめんね。

そう思いながら、つとめてサラッと

「そっか、そんなときもあるよね」

と答えるのが精一杯でした。

 

せっかくむぎさんが自分で見つけたワクワク。

やってみようと思ったこと。

大人にとっては小さなことだけど

子供にとっては大事なこと。

失敗するならすれば良かったし

何かあってもこの子なら大丈夫って

信じてあげれば良かった。

 

それから数ヶ月。

その可愛いペンケースはむぎさんの机の上にポツンと置かれたままでした。

 

内心ガッツポーズ

そんなこんなあっての

先日の「箱じゃない筆箱」宣言。

 

大げさだけど涙が出そうでした。

内心、ガッツポーズ!!

 

他にペンケースを使う子が増えてきて安心しただけかもしれないけど

むぎさんにとっては大きな一歩。

私が植え付けてしまった不安を

乗り越えてくれてありがとう。

ごめんね。

不安で不安で苦しかった時期から

ひとつずつ前進しようとしている姿がとても頼もしかったです。

 

ペンケースデビューして帰ってきたむぎさん。

使い心地は「いい感じ!」だったそうで。

本当によかった。

 

 

無自覚でかけてしまう、

否定してるつもりじゃないのに否定しちゃう言葉。

私のとっても悪い癖です。

 

私自身が心配性で不安が強いから

つい確認のつもりで言っちゃう言葉、

同じく繊細なむぎさんには届いてしまう。

 

いい意味で大雑把でザクっとした上の子こめさん(と旦那)には届かないと言うか

届いても流してくれるから

つい甘える癖がついていました。

 

またしてもむぎさんに強くしてもらった出来事でした。

 

 

 

退職あれこれ④〜第3関門を抜けて‥‥「がんばってきたんだね」〜

 

ここまで少しずつ

教員を退職したときの経験を記録してきました。

 

下の子の持病から、

いわゆる荒れた高校での担任業務、

自律神経失調症からの鬱と

色々書いてきました。

 

悔しさや懐かしさ

情けなさや、

意外と今はスッキリした気持ちだったり、、

色んな感情があって

ついつい長く書いております。笑

 

そして、とうとう!

前回の記事から、

退職申し出の当日の話に

やっと辿り着きました!

 

 

第三関門:校長室へ!

なぜか研究授業当日の朝に

教頭に退職についての話を切り出した私。

 

その数十分後に校長と面談することになりました。

翌日とかにならなくてよかったです。

また悩んじゃいますから。

 

この校長は、

初任校の時にもお世話になったことのある方でした。

たまたま通勤電車で一緒になったときは

当時教頭だったその先生の愚痴を聞いたり

まだまだ新米だった私にアドバイスくださったり‥‥

そんな先輩に退職を申し出ることになるとは思っていなかったので

正直とても悲しくて複雑でした。

 

話す前からやっぱり泣く

校長室に入り着席を促されます。

管理職3人が優しい眼差しでこちらを見ていました。

「どうしたの?」と

何度も聞いてきたちょっと独特な口調で校長から聞かれました。

 

話を聴くよ、という気持ちがお三方から伝わってきて、

あぁ、

この人たちもこうやってたくさんの生徒や先生方の話を聴いてきた教育者なんだなぁと感じたのを覚えています。

 

この時点でもう泣きました。

はい、

まだなにも喋ってません。

 

未練なの?

悔しさなの?

なんだか分からないけど感情が揺さぶられて

涙を止められなくなりました。

 

鬱のときのこの涙もろさったら、

本当にやっかいでした。

 

 

「がんばってきたんだね」

「今年度いっぱいで退職しようと考えています。」

「前任校で鬱と診断されてから、なんとか働いてきましたが治りきらず、、、」

「この学校では色々と配慮していただいて、生徒も先生方も本当に良い雰囲気で、

おかげさまで少しずつ元気になったのですが、子供のことも考えると一度ちゃんと治したいと考えています」

というようなことを

涙ながらになんとか伝えました。

 

前任校で初めて校長に退職を申し出た時は

「もうちょっと力抜いて人を頼って」とか

「気持ちの問題だからさ」

と根性論のようなものでスルーされ?たので

今回ももしかして受け入れてもらえないかもとは覚悟していました。

それでも、今回は辞める気でいました。

 

そんな私に校長から返ってきたのは

「そうか、、

そんなに辛かったんだね。」

「がんばってきたんだね。」

という言葉でした。

 

私の、肩の力が抜けず真面目すぎるところも

悩んで悩んで人の何倍も考え込んでしまうところも

初任の時から知ってくださっている校長先生。

 

私がどれだけ悩んでこの結論を出したかも

きっと感じ取ってくれたんだと思います。

 

はたまた、こんな状態では引き止めて働かせても使い物にならないと思われたか?笑

 

すんなりと受け入れられ、

このあと退職までの何ヶ月かを過ごしやすくするための話や

退職後の相談にも乗ってくださいました。

 

 

辞める決断をした自分が情けなくて恥ずかしくて

こんな弱い自分を誰も認めてなんてくれないと思っていました。

ましてやお世話になってきた方にこんな話をするなんて、

非難されて当然だと思っていました。

責められて、もったいないと言われて、

もっと惨めな気持ちになる覚悟もしていました。

 

内心ではどう思っていらしたかは分からないけど、

この日

私の決断を「がんばってきたんだね」と受け止めてくれたこと。

引き止めず、信じて尊重してくれたこと。

感謝しかありません。

 

退職あれこれ③〜退職への第一関門・第二関門〜

 

今週になって

「非常勤やりませんか?」と、

勤務したことのある学校や、かつての同僚から

何件か連絡が来ています。

 

来年度も今の勤め先で働く予定なのでお断りしていますが、

自分の体調と子供達がもう少し落ち着いたらやろうかな。

なんて考えられるようになってきました。

 

退職する前は

退職したら収入が、、、

非常勤って本当に働き口あるのかな、、、

と不安にも思いましたが、

とりあえず働き口は選ばなければ必ずある、というのが現状です。

 

 

第一関門:2回目の退職申し出を決意

さて、私は何年か前に教員の仕事を退職しています。

詳しいことは今までの記事に書いてありますが、

辞めるまでに退職の申し出を2回しました。

 

どん底で申し出た1回目はなぜか軽く流されてしまい

そのあと異動もしたりして働き続けましたが

葛藤の末、やっぱり辞めるぞと決心しました。

 

人事の迷惑にならないよう管理職には早めに伝えなきゃ

そう思っていたのに勇気が出せず、

ズルズル悩んでいた私。

実は辞めたその年も結局、意向調書の「退職」の欄には丸をつけられませんでした。

 

あ〜やっちゃった

今年も辞めないのか私は。

働き続けられるかもなんて、どうして頭をかすめてしまうんだろう。

来年も心身の不調に苦しみながら働くのか

なんで決められないんだ、働き続ける覚悟もないのに、、

 

って、毎年毎年。

 

オイオーイ!!

 

ダメだ、

決断しなきゃ!

 

私が私を変えなきゃ!

 

と思いたち(何年かかったんだか)

私が2回目の退職を申し出たのは、

意向調書を出した数日後。

 

なんと研究授業当日の朝でした。

ただでさえ研究授業きらいな私、

鬱になってから余計に焦りや不安を感じるようになり、

そりゃぁもう嫌で嫌で。

なのになぜかその日。

 

と言っても、その日を狙ったわけではなくて

毎日言い出すタイミングを見計らっていたら

その日の朝に「あ、いまだ!」と思うタイミングがやってきたのです。

 

研究授業が嫌すぎたせいで勢いがついたのかもしれません。笑

 

 

第二関門:退職の話を切り出す

朝の打ち合わせが終わり、

他の先生方が授業へ向かったあと

その日1時間目に授業がなかった私は

管理職席に教頭だけが残っているのを見つけました。

 

今までこんな状況があっても、

近くにウワサ好きの同僚がいたり

管理職が忙しそうだったりして話しかけられずいたのですが、

その日はこれまでにない好条件でした。

 

頭の中が半分その日の研究授業のことで埋められていたのも良かったのかもしれません。

余計なことを考えずに

勇気を出して話しかけました。

かなり、勇気を出して。

そして、とにかく勢いで。

 

「来年度の人事の件でお話ししたいことがあるのですが」

 

教頭席でたしかこんな感じで切り出しました。

 

「え?どんな話?めでたい話?」

と教頭から聞かれた記憶があります。

たぶん、3人目の報告かと思われたんじゃないかな。

 

「いや、あの、退職を考えていて、、」

 

私の言葉におどろいた様子の教頭でしたが、

周りに誰もいないことを確認して

すぐに校長に連絡をとってくれました。

 

校長の手が空く数分後に

一緒に校長室にむかうことになりました。

 

 

あー、もう引き返せないぞ。

でも、

これでいいんだ

やっと進めた!

 

3時間目は研究授業、そんなある1時間目のことでした。

 

 

 

ちょこっと日記〜「新しいポケモンに出会った気分」〜

 

下の子むぎさんの最近

夏ごろ、「学校行きたくない」と泣いていた時期があった下の子むぎさん。 

泣くと言うより叫んでました。

習い事も買い物も、お風呂も歯磨きも、

ほんの少し身体を起こすことさえも、 

なんにも力がわかなくて動けなかったむぎさん。

 

今でもたまに泣いたりすることはありますが

学校は休まず

自分で選んだものだけ残した習い事も楽しく行けて

「やりたくない!」って子供らしいワガママを言う程度で

だいたいのことは自分でやるまでに復活したし

穏やかに過ごしています。

 

お友達との会話で

先週うちでお友達と遊んでいる時、

むぎさんが明るめの声で

「ねぇ、また三連休だよね」

とお友達にむかって話し始めました。

 

そのお友達は保育園時代からの友達で

家も近く、上の子同士も仲良しという

むぎさんにとって安心できるお友達。

 

私は別の部屋にいたのですが

「三連休、学校行かなくていいなんて嬉しい」

って話かなって

気配を消しながらなんとなく聞いていました。

 

お友達に本音を話せるのも大事なことだよな

むぎさんすごいじゃん、強くなったな〜

なんて考えながら。

 

そして、次に発された言葉は

「明日学校か、って気づくとさ」。

 

うんうん、モヤモヤってするよね、

いいんだよ、本音で話して。

なんて陰ながら私が思っていたら

 

「新しいポケモンに出会ったみたいな気分になるんだよね」。

 

ん?!

 

むぎさんのその言葉に理解が追いつかず。

いろんな解釈が私の頭の中でぐるぐる。

 

むぎさんは明るい声で続けました。

 

「バトルするのはドキドキするけど、

絶対ゲットするぞって気持ちになるんだよね」。

 

そうか〜

そうか〜

そうか〜

 

この子は学校を今そう捉えていたのか。

 

登校渋りする前はどうだったかわからない。

登校渋り中はもっときっとずっと苦しかったと思う。

今のその捉え方がむぎさんにとって苦しくないものかなのかも、私には分からない。

無理してるかもしれない。

 

でもなんとなく、ほっとしました。

また何があっても、この子は大丈夫

そう思う勇気をもらえた気がしました。

 

否定しないこと、感じ方を認めること

思い返せば急に暑くなってきた6月ごろ

暑さできっと疲れていたのもあったのでしょう。

突然むぎさんの心のバランスが崩れました。

 

上の子が受験モードで大変になってきて

ピリピリを感じ取って心が疲れたのかもしれません。

 

年齢と心のパワーの割には習い事が多くて

「自分で始めたら投げ出しちゃいけない」と

葛藤していたのかもしれないし。

 

甘えんぼでマイペース、とっても繊細で、でも頑固なむぎさんは

自立していく過程で

人よりエネルギーが必要だったのかもしれません。

 

そして何より、

むぎさんが出した初めのSOSを

私が見逃したんだと思います。

見逃すどころか

「そんなんじゃダメだよ」と

否定して、むぎさんの感じ方を評価(悪い方向で)していたんだと思います。

 

きっと、その時だけじゃなくて、

それまでもずっと。

 

後悔してもしきれません。

 

それから少しずつ

否定しない、本人の感じ方を認めることを心がけて

(ダメなことはきちんと伝えますが)

我が子たちも立派な1人の人間だと

何度も何度も失敗しながら

心に落とし込んできました。

 

まだまだ、私に染みついた癖は抜けないけど

ポケモンに出会った気分」と

自分の気持ちを表現できるようになったむぎさんに

私もちょっと自信をもらえました。

 

ありがとう。

今日もここにいてくれて、ありがとう。

 

 

 

 

退職あれこれ②~24時間365日×数年の葛藤~

 

来年度の人事で職員室がザワザワする時期ですね。

なんだか色々思い出します。

 

少し子供のことが落ち着いて

気持ちの波もおさまったので、

久しぶりに教員を辞めた時の話を振り返って書きたいと思います。

 

 

私は2回、退職の申し出をしています。

1回目は鬱でボロボロだったとき。

私の様子を見て心配した管理職から声をかけてもらって、

鬱のことを初めて報告、その流れで辞意を伝えました。

 

ボロボロになった経緯は今までも書いてきましたが

下の子の持病、生後数ヶ月での手術、目の前で心停止からの再手術。

体の弱い我が子と睡眠障害の残る私。

旦那は本気の運動部顧問で、朝も晩も休日もワンオペ育児。

そんな中での、偏差値最底辺校での育休復帰と同時の担任業務。

なんとかこなそうとしているうちに、あれよあれよと眠れなくなり、自律神経失調症になりました。

網膜の病気、アトピーの再発、脈の低下、

そして退職の決断に一番影響を与えたのは、鬱の症状でした。

 

「消えたい」としか考えられない自分をなんとかしたいと思えるうちに、と勇気をふりしぼって退職の申し出をしたのですが

色々あって辞められず?、そのまま働き…(詳しくは今までの記事に^_^)

 

 

その数年後、

やっぱり、自分の体調と生活を立て直すために思い切って辞めよう!と決断したのですが、

2回目の退職申し出は、タイミングがなかなか難しかったんです。

 

なんせ2回目の退職申し出のときは、

心身ともに少し回復していたから。

決断したとは言え、優柔不断な私は「本当に辞めていいのかな」と延々と悩んでいました。

 

いや、悩んでいたというか、

辞めるという気持ちは固まってるのに、なかなか行動にうつせない自分への言い訳を考え続けていたって感じですかね。

 

元気になってきたのに辞めるなんて、とか

定年まで働くつもりだったのに悔しい、とか

子どもたちのためにお金を稼いで残しておきたかった、とか。

 

情けないなとか恥ずかしいなとか、

いろんな感情を言い訳にして、ダラダラと自分の足を引っ張っていました。

もともと超が100回つくほど優柔不断な私にとって、この決断はとても覚悟のいるものでした。

 

あぁどうしよう。

 

でも、辞めたい。

自分の歪みまくった認知と

ボロボロになった身体を

働いたまま治す覚悟も、

甘ったれの私にはできなかった。

 

とにかく、辞めたかった。

 

大好きな仕事だし

本当は続けたかったけど

教員をしている自分の生活は辛かった。

 

育児と仕事の天秤をなんとかバランス取ろうとして、

どっちも頑張りたくて手を抜けなくて

自分の気持ちとか健康を、今思えば、完全に無視して。

とても不器用でした。

天秤は、バランスをとるどころか、

丸ごとぐしゃっと潰れました。

 

そのままの状態で這いつくばって働きながら

文字通り24時間365日悩み続けました。

寝ても起きても何をしてても、

辞めるか辞めないか、の選択にずっと縛られて脳みそが囚われていました。

 

 

寝ている間も目が覚めては悩み、寝ながら悩み、

今日の仕事は、、と起きた瞬間から考えることが苦しくて苦しくて

 

旦那に「辞めたい」「消えたい」とつぶやいて

子供達をなんとか送り出し

鉛のような身体を引きずって出勤し

その間もずっと悩んでいました。

 

また、悩みながらもう一年頑張ろうか。

言い出せない毎日がただダラダラと続きました。

その間にも鬱の波はやってきたり。

その状態が何年か続きました。

 

年度途中で辞める勇気なんかできっこない私にとって、

来年度の意向を聞かれる時期に退職を申し出ないことは、イコール丸々もう1年働くことでした。

 

 

波はあるものの少しずつ回復している

それでもこの生活を続けたくないと思っている

 

じゃぁ、

辞めよう。

 

とっくの昔に決まっていた自分の結論を受け入れる覚悟ができたのは、

「今年も意向を聞かれる時期が来る」

「また辞められない一年を自分で選択してしまう」

「私が笑顔をなくしている今この間に、我が子たちは育っていってしまう」

という焦りのおかげ。

何年か前の秋のことでした。

 

ちょこっと日記〜最近のいろいろ〜

 

年が明けてもう一カ月半!

 

給料が上がりました\(^^)/

 

賃上げというやつでしょうか。

素直にとても嬉しいです。

 

子供達のことにお金がかかるので、ありがたいです。

 

 

そして、

いつだったかのブログで、おしゃれ心を取り戻したいと書いたのですが、

ここにきて少し楽しくなってきました。

 

カバンや服を買うために何件もお店をはしごして、

そうして手に入れたものはやっぱりテンションをあげてくれますね(^_^)

 

化粧水も普段よりいいものを使ったら、

すごく肌の調子がよくなりました。

 

今までどれだけ自分のケアをさぼっていたのか、、

 

うつでボロボロだったときには

そんなこと(?)気にする気力もなかったけど

少しずつ少しずつ

自然と意識できるようになってきました。

 

子供達が大きくなってきて、

お年頃の子供達にとって恥ずかしくないお母さんでいたいという気持ちも

けっこう影響している気がしますが。

 

 

 

下の子も、

たまに不安定になりながらも、

良い感じで過ごせています。

 

わりと穏やか。

 

毎日いろんなことは起こるけど。

 

ほんの少しのことで心が乱されそうになるのは変わらないけど。

 

それが今の私なんだと受け止めて。

 

ゆったり過ごします\(^^)/

 

 

コンプリメント〜力がある〜

 

昨日、出かける直前に

下の子がジュースを机の上にこぼしました。

前だったら

「よそ見して飲まないの!」

とか

「あー、もう。」

とか

眉間にシワを寄せて言ってしまってたかもしれない。

 

でも今は

「あるあるー!」

と明るくとっさに言えるし、

 

ふきんを取ろうと動く子供に

「すぐに自分で考えて動く力があるね!」

と声をかけられる。

 

そして、子供はエッヘンと誇らしげ。

 

そんな表情を見ると、

あぁ、こっちのほうが幸せだ、

と改めて感じます。

 

さらに

こちらが何も言わなくても

「置く場所はこっちにしよう」と

自分で考え始めました。

 

子どもってすごい。 

 

いや、

子どもだと思っていたけど

もう1人の人間なんだな。

 

自分でなんとかする力があるし

ちゃんと、成長したいと思ってる。

 

って考えが

やっと、少しずつ、心に染みわたってきました。

 

当たり前のようにできるお母さんがきっとたくさんいる中で、

私には出来てなかった。

 

まだまだ出来ないときもあるけど、

こうしたいという道が見えたことで

だいぶ楽になりました。

 

 

とらえ方を変えたら、

私自身がすごく楽になりました。

 

 

なるべく毎日1回は

顔を見て

「この家に生まれてきてくれてありがとう」

「お母さんは世界一幸せものだよ」

と伝えています。

 

最初、荒れていた時は

受け止められないって顔をしてたけど

 

今はすごく優しい笑顔で

頷いてくれます。

 

ずっと、ごめんね。

勇気を出して教えてくれてありがとう。