先生を辞めた~私の場合~

教員の仕事、大好きだけど辞めました!鬱(再発防止期)と育児とお仕事の話。

退職あれこれ②~24時間365日×数年の葛藤~

 

来年度の人事で職員室がザワザワする時期ですね。

なんだか色々思い出します。

 

少し子供のことが落ち着いて

気持ちの波もおさまったので、

久しぶりに教員を辞めた時の話を振り返って書きたいと思います。

 

 

私は2回、退職の申し出をしています。

1回目は鬱でボロボロだったとき。

私の様子を見て心配した管理職から声をかけてもらって、

鬱のことを初めて報告、その流れで辞意を伝えました。

 

ボロボロになった経緯は今までも書いてきましたが

下の子の持病、生後数ヶ月での手術、目の前で心停止からの再手術。

体の弱い我が子と睡眠障害の残る私。

旦那は本気の運動部顧問で、朝も晩も休日もワンオペ育児。

そんな中での、偏差値最底辺校での育休復帰と同時の担任業務。

なんとかこなそうとしているうちに、あれよあれよと眠れなくなり、自律神経失調症になりました。

網膜の病気、アトピーの再発、脈の低下、

そして退職の決断に一番影響を与えたのは、鬱の症状でした。

 

「消えたい」としか考えられない自分をなんとかしたいと思えるうちに、と勇気をふりしぼって退職の申し出をしたのですが

色々あって辞められず?、そのまま働き…(詳しくは今までの記事に^_^)

 

 

その数年後、

やっぱり、自分の体調と生活を立て直すために思い切って辞めよう!と決断したのですが、

2回目の退職申し出は、タイミングがなかなか難しかったんです。

 

なんせ2回目の退職申し出のときは、

心身ともに少し回復していたから。

決断したとは言え、優柔不断な私は「本当に辞めていいのかな」と延々と悩んでいました。

 

いや、悩んでいたというか、

辞めるという気持ちは固まってるのに、なかなか行動にうつせない自分への言い訳を考え続けていたって感じですかね。

 

元気になってきたのに辞めるなんて、とか

定年まで働くつもりだったのに悔しい、とか

子どもたちのためにお金を稼いで残しておきたかった、とか。

 

情けないなとか恥ずかしいなとか、

いろんな感情を言い訳にして、ダラダラと自分の足を引っ張っていました。

もともと超が100回つくほど優柔不断な私にとって、この決断はとても覚悟のいるものでした。

 

あぁどうしよう。

 

でも、辞めたい。

自分の歪みまくった認知と

ボロボロになった身体を

働いたまま治す覚悟も、

甘ったれの私にはできなかった。

 

とにかく、辞めたかった。

 

大好きな仕事だし

本当は続けたかったけど

教員をしている自分の生活は辛かった。

 

育児と仕事の天秤をなんとかバランス取ろうとして、

どっちも頑張りたくて手を抜けなくて

自分の気持ちとか健康を、今思えば、完全に無視して。

とても不器用でした。

天秤は、バランスをとるどころか、

丸ごとぐしゃっと潰れました。

 

そのままの状態で這いつくばって働きながら

文字通り24時間365日悩み続けました。

寝ても起きても何をしてても、

辞めるか辞めないか、の選択にずっと縛られて脳みそが囚われていました。

 

 

寝ている間も目が覚めては悩み、寝ながら悩み、

今日の仕事は、、と起きた瞬間から考えることが苦しくて苦しくて

 

旦那に「辞めたい」「消えたい」とつぶやいて

子供達をなんとか送り出し

鉛のような身体を引きずって出勤し

その間もずっと悩んでいました。

 

また、悩みながらもう一年頑張ろうか。

言い出せない毎日がただダラダラと続きました。

その間にも鬱の波はやってきたり。

その状態が何年か続きました。

 

年度途中で辞める勇気なんかできっこない私にとって、

来年度の意向を聞かれる時期に退職を申し出ないことは、イコール丸々もう1年働くことでした。

 

 

波はあるものの少しずつ回復している

それでもこの生活を続けたくないと思っている

 

じゃぁ、

辞めよう。

 

とっくの昔に決まっていた自分の結論を受け入れる覚悟ができたのは、

「今年も意向を聞かれる時期が来る」

「また辞められない一年を自分で選択してしまう」

「私が笑顔をなくしている今この間に、我が子たちは育っていってしまう」

という焦りのおかげ。

何年か前の秋のことでした。