先生を辞めた~私の場合~

教員の仕事、大好きだけど辞めました!鬱(再発防止期)と育児とお仕事の話。

退職あれこれ⑤〜赤い目のまま〜

4月になりましたね。

パートとして働いている職場でも、異動があったり新採用の方が来たりで、

なんだかフレッシュな気持ちです(^ ^)

 

前々回のブログで

退職の申し出が受け入れられたところまで書きました!

鬱ドン底期にスルーされた1回目の申し出からここまで、、長かった(TT)

詳しくは、今までの記事をご覧いただけたら幸いですm(_ _)m

 

 

第四関門:最後の研究授業

さて、退職申し出をした日、

そして退職を認められたその日は

研究授業の当日でした。

 

その日を狙ったわけではもちろんなく。

 

どちらかというと、

次年度の意向調書を提出する時期になると、

毎年、毎日、いつ退職を切り出そうかと狙ってました。

そして、言い出せず空振りして、何年か退職しそびれてきました。

 

元々の優柔不断さに加え、うつで判断力も決断力も鈍りきっていたため

よっぽどの好タイミングじゃないと

動く決断が出来ませんでした。

 

そして決断できなかった自分に自己嫌悪して。

辞めたいのに辞められなかったモヤモヤを前向きに変換できないまま、泣きながら働く。

今思えばバカみたい。

でもあの時はそれしかできなかった。

 

そんな思考フリーズな私が決断できたのが、

たまたま?私の苦手とする研究授業の日だったのです。

 

見られることへの不安

校長室での面談を終え、

もう次年度には専任として教壇には立たないと分かっているのに

それでも真面目に研究授業の準備を始めました。

 

進学校の3年生。

しかも指定されたのは入試対策をしていた授業。

一応普段から工夫はしてきたつもりでいましたが、

研究授業としてはやりにくいんだよな〜、、

 

ただでさえ不安が大きく

人に見られるのは苦手なのですが、

鬱になってから

人の目が必要以上に怖くて怖くて。

 

視線を上げようと思えば思うほど

自分の身体と心が萎縮してしまいます。

 

どう思われてるんだろう。

この進め方はダメだよな

声が小さいって思われてるよな

単調だから退屈だろうな。

 

自分に自信がないばかりに

そこを周りの人が全て責めてきているような被害妄想。

 

その被害妄想はもはや妄想ではなくて

私の中に、現実に起きたこととして勝手に変換されて突き刺さってきました。

 

実際には一つも起きてないのに

あたかも本当に責められているかのように

常に感じ続けていました。

 

赤い目のまま研究授業

いざ授業が始まります。

元からチャイムの前には教室にいたいタイプなので、いつも通り到着して準備。

 

鬱とは言え、生徒のことが好きというか、そういう根本的なところは変わらない。

話しかけてくれる子たちと、

緊張するね〜、いつも通りいい感じでよろしくね〜なんて話しつつ。

 

どん底期でも変わらなかったのは、

生徒に会うと涙が止まって切り替えられるということ。

家はもちろん、職員室でも廊下でもダメなのに、

教室に近づくとスイッチが入りました。

 

そして、チャイム。

 

先生方やいろんな方が見に来てくれます。

なんとなくよそ行きな感じで授業を開始。

 

ついさっき退職の話をした管理職がはいってきて

私に目配せで「うんうん」と笑顔をむけてくれました。

 

ぶわっと感情がゆさぶられて、

涙が出そうになりました。

 

これが最後の研究授業。

 

初任時代から何度もやって

その度に緊張して嫌だな〜って思ったり。

同僚と励ましあったり。

その後の振り返りで思いがけずあたたかい評価をもらって自信がついたり。

色んなことを思い出しました。

 

嫌だけど、苦手だけど、

生徒のためにどうしたいかを一生懸命考えられていた以前の私。

 

今の私はもう、逃げること、退くことしか考えられない。

 

悔しくて、情けなくて、虚しくて。

 

なんとか堪えながら

きっと真っ赤な目のまま

授業をしました。

 

生徒に問いかける。

やりとりを通して笑いが起こることもある。

でも、心の中は悔しさでごちゃごちゃ。

改善して繋いでいくことは、私にはできない。

そんな気持ちが生まれるのが、なんだか怖い。

もう頑張るのが怖い。

 

そんな気持ちと葛藤しながらなんとか赤い目でやり通しました。

そんな最後の研究授業。

前向きに取り組んで盛り上げてくれた生徒たち、ありがとう。

ごめんね。