消えたくなっちゃう気持ち
鬱になってから、消えたい、と思うようになりました。
死にたい、とは思いませんでした。
そんな能動的なエネルギーがなかったのかもしれません。
自分がその状態になったことのない人は「そんな大げさな」って、思うかもしれません。
私も昔の生徒にそんな話をされたとき、
寄り添っているつもりでいましたが、実際には何も分かっていなかったと思います。
(一人ひとり心の中はみんな違うので、わかる、なんてそもそも有り得ないことですが。)
今日は、私の場合、どんな時にどんなふうにそう思ってしまったかをまとめておきたいと思います。
支える側の人の参考に、そして苦しんでいる人には「それでも今私は生きてるよ」というメッセージが伝わればいいのかな。
どうかな。
いや、そんな偉そうなものではなく、
ただ単に私の気持ちの整理として。
家の外で消えたくなっちゃうとき
出勤する間に、いつも同じ場所でふっと自損事故を起こしたくなる衝動に襲われました。
起こしたくなるというより、起こしてしまいそうになる、という言い方のほうが正しいかもしれません。
電車に乗るときは、
下りホームの決まった位置。
飛び降りようとか思うわけではなく、
すっと線路の方に引っ張られるような感覚になってしまうんです。
車に乗るときは、
交差点を右折して脇道に入るとき。
トラックが多い道だったので、右折するときにトラックの前にすっとぶつかりに行きたくなる感覚が頻繁にありました。
逆に車通りの少ない道の電柱。
おもいっきりアクセルを踏んでぶつかりそうになる衝動を感じていました。
あとは田んぼ道の中のカーブ。
ガードレールも柵もなくて、道路の横がすぐ田んぼ。
カーブを曲がりきらずにそのまま落ちれたら…って、通る度にほぼ毎回思っていました。
落ちただけじゃ消えられないのかな。
でもとりあえず今日は仕事に行かなくてすむかな。
なんて。
仕事じゃなくて、自分が嫌だった
仕事に行きたくなかった、というのが理由ではなかったと思います。
職場に着いてしまえば、なんとかなるのは分かっていました。
脳内物質か何かがでて、気を張って、働けちゃうんです。
職員室ではふとした瞬間に涙が出てくることもたくさんありました、というか常にそんな状態でした。
四階の廊下を歩いていると、窓の下に吸い込まれそうな、落ちてしまいたくなる感覚もありました。
頭が回転しないから、人と会話していても上の空。思考が空回りしている感覚で。
分掌の仕事も、段取りができなくなって、何回考えても何一つ決められなくて。
苦しくて、何かが怖くて、自分の席で周りにぼんやりとした膜をはったみたいに縮こまっていました。
だけど、担任として朝のホームルームに行くときには、涙が止まるんです。
止めなきゃ、とはもちろん思って、意識して止めるんですけどね。
普段は意識しても止められないのに、教室に行くときだけは涙を止められる。
仕事が嫌だったわけではありません。
家庭が嫌だったわけでももちろんありません。
とにかく、何かから逃げたくて。
漠然とした不安と、絶え間ない息苦しさと、
鉛のような身体と思考。
毎日がただ苦しくて苦しくて。
そんな自分が、自分の生きる道が、嫌でした。
今となっては
なんであんなに自分の周りだけ世界が閉ざされたように狭く苦しく感じたのか、今となっては分かりません。
それが心の病気というやつなのかなと素人なりに振り返ってみて思っています。
鬱の波はまだありますが、それでもふっと、家族で過ごしているときに
「生きててよかった」って思わず口にしてしまうこともあります。
小さな平凡な幸せを感じることができる、楽しいって思える。
こんな日がまたちゃんとくるなんて思ってなかったです。
あのときの自分に教えてあげたい。